・・・ また、千太がね、あれもよ、陸の人魂で、十五の年まで見ねえけりゃ、一生逢わねえというんだが、十三で出っくわした、奴は幸福よ、と吐くだあね。 おらあ、それを聞くと、艪づかを握った手首から、寒くなったあ。」「……まあ、厭じゃないかね・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・一個は、こげ目が紫立って、蛙の人魂のように暗い土間に尾さえ曳く。 しばらくすると、息つぎの麦酒に、色を直して、お町が蛙の人魂の方を自分で食べ、至極尋常なのは、皮を剥がして、おじさんに振舞ったくらいであるから。――次の話が、私はじめ、読者・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・(暗くなると、巴が一つになって、人魂の黒いのが歩行お艶様の言葉に――私、はッとして覗きますと、不注意にも、何にも、お綺麗さに、そわつきましたか、ともしかけが乏しくなって、かえの蝋燭が入れてございません。――おつき申してはおります、月夜だし、・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・それが天井の一尺ばかり下を見え隠れに飛びますから、小宮山は驚いて、入り掛けた座敷の障子を開けもやらず、はてな、人魂にしては色が黒いと、思いまする間も置かせず、飛ぶものは風を煽って、小宮山が座敷の障子へ、ばたりと留った。これは、これは、全くお・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、木屋町を流れる高瀬川の上を飛ぶ蛍火や、高台寺の樹の間を縫うて、流れ星のように、いや人魂のようにふっと光って、ふっと消え、スイスイと飛んで行く蛍火のあえかな青さを書いた方が、一匹五円の闇蛍より気が利い・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・登勢も名を知っている彦根の城主が大老になった年の秋、西北の空に突然彗星があらわれて、はじめ二三尺の長さのものがいつか空いっぱいに伸びて人魂の化物のようにのたうちまわったかと思うと、地上ではコロリという疫病が流行りだして、お染がとられてしまっ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・僕はどうかするとあの仏殿の地蔵様の坐っている真下が頸を刎ねる場所で、そこで罪人がやられている光景が想像されたり、あの白槇の老木に浮ばれない罪人の人魂が燃えたりする幻覚に悩されたりするが、自分ながら神経がどうかしてる気がして怖くなる……」と、・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ タキは人魂みんた眼こおかなく燃やし、独りして歌ったずおん。 ――橋こ流えて行かえない。 マロサマは、また首こかしげて分別したのだずおん。なかなか分別は出て来ねずおん。そのうちにし、声たてて泣いたのだずおん。泣き泣きしゃべったと・・・ 太宰治 「雀こ」
・・・ それはとにかく、われわれの子供の時分には、火の玉、人魂などをひどく尊敬したものであるが、今の子供らはいっこうに見くびってしまってこわがらない。そういうものをこわがらない子供らを少しかわいそうなような気もするのである。こわいものをたくさ・・・ 寺田寅彦 「人魂の一つの場合」
・・・「あそこの家の屋根からは、毎晩人魂が飛ぶ。見た事があるかい?」 そうなると、子供や臆病な男は夜になるとそこを通らない。 このくらいのことはなんでもない。命をとられるほどのことはないから。 だが、見たため、知ったために命を落と・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫