・・・ やれやれ眠って呉れた、と二昼夜眠らなかった私は今夜こそ一寸でも眠らねばならぬと考えて、毛布にくるまり病人の隣へ横になりましたがちっとも眠れません。ふと私は、一度脈をはかってやろうと思って病人の手を取ってみましたが、脈は何処に打って居る・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そこを眺めながら、彼は今夜カフェで話し合った青年のことを思い出していた。自分が何度誘ってもそこへ行こうとは言わなかったことや、それから自分が執こく紙と鉛筆で崖路の地図を書いて教えたことや、その男の頑なに拒んでいる態度にもかかわらず、彼にも自・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・たすべての条件を具えたものには、早速払い下げを許可するが、そうでないものをば一斉に書面を却下することとし、また相当の条件を具えた書面が幾通もあるときは、第一着の願書を採用するという都合らしく、よっては今夜早速に、それらの相談を極めておき、い・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 他の下宿に移ってまもなくの事でありました、木村が、今夜、説教を聞きに行かないかと言います。それもたって勧めるではなく、彼の癖として少し顔を赤らめて、もじもじして、丁寧に一言「行きませんか」と言ったのです。 私はいやと言うことができ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・そして、彼らが市街のいずれかへ消えて行って、今夜ひっかえしてくる時には、靴下や化粧品のかわりに、ルーブル紙幣を、衣服の下にかくしている。そんな奴があった。 二 北方の国境の冬は、夜が来るのが早かった。 にょきにょ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ そして今夜で三回だ、龍介はフトそう思うと、何んのためにこう来るか、自分の底に動いているある気持を感じて、ゾッとした。女は外へは出ていなかった。が、足音を聞くとすぐ出てきた。「兄さん、お寄り……よ」そう言いながら、彼の顔を見て、「こ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・なれど舟を橋際に着けた梅見帰りひょんなことから俊雄冬吉は離れられぬ縁の糸巻き来るは呼ぶはの逢瀬繁く姉じゃ弟じゃの戯ぶれが、異なものと土地に名を唄われわれより男は年下なれば色にはままになるが冬吉は面白く今夜はわたしが奢りますると銭金を帳面のほ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「姉さん、私と一緒にいらっしゃい――今夜は小間物屋の二階の方へ泊りに行きましょう」 おげんは点頭いた。 暗い夜が来た。おげんは熊吉より後れて直次の家を出た。遠く青白く流れているような天の川も、星のすがたも、よくはおげんの眼に映ら・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・藤さんはもう先達も聞いたから、今夜はそんなにおかしくはないと言ったけれど、それでもやはりはじめてのように笑っていた。 話が途絶える。藤さんは章坊が蒲団へ落した餡を手の平へ拾う。影法師が壁に写っている。頭が動く。やがてそれがきちんと横向き・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・それはそうと、兎に角今夜はちょっと内へおいでな。そしてわたし共に対して意地を悪くしていないところを見せるが好いわ。少くもわたしに対して意地を悪くしていないということを知らせて貰いたいわ。なぜだか知らないが、誰を敵に持つよりも・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫