・・・印度でも狐は仏典に多く見え、野干(狐とは少し異は何時も狡智あるものとなっている。祇尼天も狐に乗っているので、孔雀明王が孔雀の明王化、金翅鳥明王が金翅鳥の明王化である如く、祇尼天も狐の天化であろう。我邦では狐は何でもなかったが、それでも景戒の・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・しかしそれは恋人を思いあきらめるがごとき大発心にて、どうか思いあきらめて下さるよう切望いたします。仏典に申す『勇猛精進』とはこのあたりの決心をうながす意味の言葉かと思います。実は参上して申述べ度きところでありますが、貴兄も一家の主人で子供で・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私が盛に哲学書を猟ったのも此時で、基督教を覘き、仏典を調べ、神学までも手を出したのも、また此時だ。 全く厭世と極って了えば寧そ楽だろうが、其時は矛盾だったから苦しんだ。世の中が何となく面白くない。と云った所で、捨てる訳にはゆかん。何とな・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・時代には近代のブルジョア・インテリゲンチアらしく、科学知識への興味を自慰的に示していた川端康成は、次第に円熟し、東洋人らしくなり、仏典をいじり、霊の輝きへの信仰によって高められ、微妙な美の創造者になったかのようである。 が、しかし、この・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・卒業論文には、国史は自分が畢生の事業として研究する積りでいるのだから、苛くも筆を著けたくないと云って、古代印度史の中から、「迦膩色迦王と仏典結集」と云う題を選んだ。これは阿輸迦王の事はこれまで問題になっていて、この王の事がまだ研究してなかっ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 元来閭は科挙に応ずるために、経書を読んで、五言の詩を作ることを習ったばかりで、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士というものに対しては、なぜということもなく尊敬の念を持っている。自分の会得せぬものに対する・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・その中には寺社の縁起物語の類が多く、題材は日本の神話伝説、仏典の説話、民間説話など多方面で、その構想力も実に奔放自在である。それらは、そういう寺社を教養の中心としていた民衆の心情を、最も直接に反映したものとして取り扱ってよいであろう。民俗学・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・そこで彼らは象徴詩にして哲理の書なる仏典の講義を聞いた。その神話的な、象徴化の多い表現に親しむとともに、それを具体化した仏像仏画にも接した。私は彼らの心臓の鼓動を聞くように思う。――彼らが朝夕その偶像の前に合掌する時、あるいは偶像の前を回り・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫