・・・ 唖々子は弱冠の頃式亭三馬の作と斎藤緑雨の文とを愛読し、他日二家にも劣らざる諷刺家たらんことを期していた人で、他人の文を見てその病弊を指してきするには頗る妙を得ていた。一葉女史の『たけくらべ』には「ぞかし」という語が幾個あるかと数え出し・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 探険の興は勃然として湧起ってきたが、工場地の常として暗夜に起る不慮の禍を思い、わたくしは他日を期して、その夜は空しく帰路を求めて、城東電車の境川停留場に辿りついた。 葛西橋の欄干には昭和三年一月竣工としてある。もしこれより以前に橋・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・それは他日御面会の節に譲ります。不折は男性、女性、中性を見ずに帰りましたね。不折は奴的の画が好きなんだろうと思います。凡鳥君によろしく。以上。六月十二日 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・ただし一国教育の事については他日論ずる所あるべし。 福沢諭吉 「教育の事」
・・・こいねがわくは吾が党の士、千里笈を担うてここに集り、才を育し智を養い、進退必ず礼を守り、交際必ず誼を重じ、もって他日世になす者あらば、また国家のために小補なきにあらず。かつまた、後来この挙に傚い、ますますその結構を大にし、ますますその会社を・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・その説はこれを他日に譲る。 小学教育の事 四 方今、世の識者が小学校の得失を論じ、その技芸の教授を先にして道徳の教を後にするを憂る者なきに非ず。たとえば、天文、地理、究理、化学等は技芸なり。孝悌忠信は道徳なり。究理化学・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・怱々筆をとって西洋書中の大意を記し、他日諸君の考案にのこすのみ。明治三年庚午一一月二七夜、中津留主居町の旧宅敗窓の下に記す福沢諭吉 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・くなったが、さてその句はどうかというと、或鋳型の中に一定したという事はないために善いと思う事もあり悪いと思う事もあり、老成だと思う事もあり初心だと思う事もあり、しっかりとつかまえる事が出来んから、更に他日を待って詳論するであろう。露月は・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・こんな作に考証も事々しいが、他日の遺忘のためにただこれだけの事を書き留めておく。 大正元年九月十八日 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・玄機が詩を学びたいと言い出した時、両親が快く諾して、隣街の窮措大を家に招いて、平仄や押韻の法を教えさせたのは、他日この子を揺金樹にしようと云う願があったからである。 大中十一年の春であった。魚家の妓数人が度々ある旗亭から呼ばれた。客は宰・・・ 森鴎外 「魚玄機」
出典:青空文庫