・・・ そうさね……何だか異りきに聞えるじゃねえか、早く一人押ッ付けなきゃ寝覚めが悪いとでも言うのかい?」「おや、とんだ廻り気さ。私はね、お前さんが親類付合いとお言いだったから、それからふと考えたんだが……お前さんだってどうせ貰わなきゃならな・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・この時は、非常に息苦しくて、眼は開いているが、如何しても口が利けないし、声も出ないのだ、ただ女の膝、鼠地の縞物で、お召縮緬の着物と紫色の帯と、これだけが見えるばかり、そして恰も上から何か重い物に、圧え付けられるような具合に、何ともいえぬ苦し・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・途端に、満右衛門は頭を畳に付けて、「――田舎者の粗忽許して下され」 と、煮えくりかえる胸まで畳につけんばかりに、あやまった。 すると相手は、「――暫く其の儘で……」 と、満右衛門の天窓の上で咳などをして、そして、言うこと・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・日が照付けるぞ。と、眼を開けば、例の山査子に例の空、ただ白昼というだけの違い。おお、隣の人。ほい、敵の死骸だ! 何という大男! 待てよ、見覚があるぞ。矢張彼の男だ…… 現在俺の手に掛けた男が眼の前に踏反ッているのだ。何の恨が有っておれは・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 彼は手を附けたらば、手の汗でその快よい光りが曇り、すぐにも錆が附きやしないかと恐るるかのように、そうっと注意深く鑵を引出して、見惚れたように眺め廻した。……と彼は、ハッとした態で、あぶなく鑵を取落しそうにした。そして忽ち今までの嬉しげ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・朝は大抵牛乳一合にパン四分の一斤位、バターを沢山付けて頂きます。その彼へスープ一合、黄卵三個、肝油球。昼はお粥にさしみ、ほうれん草の様なもの。午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・らば資本をおろして一構えの店を出したき心願、少し偏屈な男ゆえかかる場合に相談相手とするほどの友だちもなく、打ちまけて置座会議に上して見るほどの気軽の天稟にもあらず、いろいろ独りで考えた末が日ごろ何かに付けて親切に言うてくれるお絹お常にだけ明・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・そして「今日以後永く他宗折伏を停めるならば、城西に愛染堂を建て、荘田千町を付けて衣鉢の資に充て、以て国家安泰、蒙古調伏の祈祷を願ひたいが、如何」とさそうた。このとき日蓮は厳然として、「国家の安泰、蒙古調伏を祈らんと欲するならば、邪法を禁ずべ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・それに彼は、いくらか小金を溜めて、一割五分の利子で村の誰れ彼れに貸付けたりしていた。ついすると、小作料を差押えるにもそれが無いかも知れない小作人とは、彼は類を異にしていた。けれども、一家が揃って慾ばりで、宇一はなお金を溜るために健二などゝ一・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体にシナを付けて、語音に礼儀の潤いを持たせて、奥様らしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手で、褒めて云えば真率なのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎先生・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
出典:青空文庫