・・・そして硝子窓をあけて、むっとするようにこもった宵の空気を涼しい夜気と換えた。彼はじっと坐ったまま崖の方を見ていた。崖の路は暗くてただ一つ電柱についている燈がそのありかを示しているに過ぎなかった。そこを眺めながら、彼は今夜カフェで話し合った青・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・て深く心にきざみ置かれたく候そなたが父は順逆の道を誤りたまいて前原が一味に加わり候ものから今だにわれらさえ肩身の狭き心地いたし候この度こそそなたは父にも兄にもかわりて大君の御為国の為勇ましく戦い、命に代えて父の罪を償いわが祖先の名を高め候わ・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・そして、出てくる時、一円四銭で換えてもらって、ほくほくと逃げてきた。いっぱい喰わされたのはサヴエート同盟だった。彼は、昔から、こんな手段を使っていた。日本が出兵していたころ、御用商人に早変りして、内地なら三円の石油を一と鑵十二円で売りつけた・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・の何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやったり、坐を定めさせてやった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ 二三日して、寒くなったので着物をき換えたとき、袂に何か入っているらしいので、オヤと思って手探ぐりにすると、小さいカードのようなものが出てきた。卯の歳 文珠菩薩守本尊 金と朱で書いた「お守」だった。 マル・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ラケットを鍬に代えてからの太郎は、学校時代よりもずっと元気づいて来て、翌年あたりにはもう七貫目ほどの桑を背負いうるような若者であった。 次郎と三郎も変わって来た。私が五十日あまりの病床から身を起こして、発病以来初めての風呂を浴びに、鼠坂・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・――では早くお着換えなさいましな。女の着物なんか召しておかしいわ」と微笑む。自分は笑って、袖を翳してみる。「さっきね」と、藤さんは袂へ手を入れて火鉢の方へ来る。「これごらんなさい」と、袂の紅絹裏の間から取りだしたのは、茎の長い一輪の・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・そのほか、ふたりの着換えの着物ありったけ、嘉七のどてらと、かず枝の袷いちまい、帯二本、それだけしか残ってなかった。それを風呂敷に包み、かず枝がかかえて、夫婦が珍らしく肩をならべての外出であった。夫にはマントがなかった。久留米絣の着物にハンチ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・しかし念には念を入れるがいいと思って、ホテルを換えた。勘定は大分嵩張っていた。なぜと云うに、宿料、朝食代、給仕の賃銀なんぞの外に、いろいろな筆数が附いている。町の掃除人の妻にやった心附け、潜水夫にやった酒手、私立探偵事務所の費用なんぞである・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ナンキン錠をいくらつけ換えても、すぐ打ちこわされるので、根気負けがしたのである。無論土方か職人のしわざに相違ない。 池の周囲の磁力測量、もっとも伏角だけではあるが、数年来つづけてやって来て、材料はかなりたまっている。地形によって説明され・・・ 寺田寅彦 「池」
出典:青空文庫