・・・実は、少しからだの工合いおかしいのでして、などと、せっぱつまって、伏目がちに、あわれっぽく告白したりなどするのだが、一日にバット五十本以上も吸い尽くして、酒、のむとなると一升くらい平気でやって、そのあとお茶漬を、三杯もかきこんで、そんな病人・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・ 若い男は存外顔色も変えないで、静かに伏目がちに何か云いながら、新しい切符を差し出していた。車掌はそれを受取ろうともしないで「サア、どっちです。……車掌は馬鹿じゃありませんよ」と罵った。 私は何だか不愉快であったからすぐに立って・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・一同黙っていずれも唇を半開きにしたまま遣り場のない目で互に顔を見合わしている。伏目になって、いろいろの下駄や靴の先が並んだ乗客の足元を見ているものもある。何万円とか書いた福引の広告ももう一向に人の視線を引かぬらしい。婆芸者が土色した薄ぺらな・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・吉里は時々伏目に善吉を見るばかりで、酌一つしてやらない。お熊は何か心願の筋があるとやらにて、二三の花魁の代参を兼ね、浅草の観世音へ朝参りに行ッてしまッた。善吉のてれ加減、わずかに溜息をつき得るのみである。「吉里さん、いかがです。一杯受け・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・いかにも小供らしい口調で伏目になりながら云う。ペーンはシリンクスの話のあんまり子供らしいのと泣きぬれてました美くしさにみせられて頬をうす赤くしながらそのムッチリした肩を見ながら、ペーン ほんとうにマア、お前は美くしい体と・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 千代は、桃色の襟をのぞかせたエプロンの上に両手を重ね、伏目になって云った。「はい。――でも……あのこれ一枚でございますから」 さほ子は、気の毒らしい顔を伏せて、せっせと鉢の中をかきまぜた。「――もう一枚一寸したのがございま・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 少女は、びっくりした表情で、私と自分と手に持っている花束とを見較べた。私は、思わず微笑して、繰返した。「その花を二つ下さい」 少女は伏目になり、非常に美しい表情をちらりと頬に浮べ、私に花を渡した。「いくら?」「一つ十銭・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
出典:青空文庫