・・・もうすこし不明瞭なのでは「かえるやら山陰伝う四十から」の次に「むねをからげる」があり、「だだくさ」の次に「いただく」があり、「いさぎよき」の次に「よき社」がありするのも同様である。こういう無意識の口移りは付け句には警戒されたのが三句目四句目・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・かつて硯友社諸家の文章の疵累を指したように、当世人の好んで使用する流行語について、例えば発展、共鳴、節約、裏切る、宣伝というが如き、その出所の多くは西洋語の翻訳に基くものにして、吾人の耳に甚快らぬ響を伝うるものを列挙しはじめた。「そうい・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。「夜もだいぶ更けた」「ほととぎすも鳴かぬ」「寝ましょか」 夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥床に入る。 三十分の後彼ら・・・ 夏目漱石 「一夜」
世に伝うるマロリーの『アーサー物語』は簡浄素樸という点において珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏は免がれぬ。まして材をその一局部に取って纏ったものを書こうとすると到底万事原著による訳には・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを傷ましむる媒介物の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて泡沫の身を嘲る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ後は墓碑も建・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・俗を見聞する中に、妻妾同居云々の談を聞て初の程は大に疑いしが、遂に事実の実を知り得て乃ち云く、自分は既に証明を得たれども、扨帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、却て自分を目し虚偽を伝うる者なりとして、爾余の報告までも概し・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・あるいは伝う、蘭化翁、長崎に往きて和蘭語七百余言を学び得たりと。これによって古人、力を用ゆるの切なると、その学の難きとを察すべし。その後、大槻玄沢、宇田川槐園等継起し、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川榛斎父子、坪井信道、箕作阮甫、杉田成卿・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ今の日本国人として、現在の愉快、後世子孫の幸福は、何を以て最とするやと尋ねたらば、独立の体面を維持して日本国の栄名を不朽に伝うるのほかなかるべし。而してこの体面と栄名とを張るにいささかにても益すべ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・曙覧をして俳人ならしめば、ほとんどその名だに伝うるあたわざりしなるべし。いわんや彼は全く調子を解せざるをや。しかるにかくのごとき曙覧をも古来有数の歌人として賞せざるべからざる歌界の衰退は、あわれにも気の毒の次第と謂わざるべからず。余は曙覧を・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・そこで世間で我虚名を伝うると与に、門外の見は作と評との別をさえ模糊たらしめて、他は小説家だということになった。何故に予は小説家であるか。予が書いたものの中に小説というようなものは、僅に四つ程あって、それが皆極の短篇で、三四枚のものから二十枚・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫