・・・と欲することあるごとに、今しも渠がなしたるごとく、籠の中なる琵琶を呼びて、しかく口笛を鳴すとともに、琵琶が玲瓏たる声をもて、「ツウチャン、ツウチャン。」と伝令すべく、よく馴らされてありしかば、この時のごとく声を揚げて二たび三たび呼ぶとともに・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・幼きふたりの伝令使は見る間に飛び込んできた。ふたりは同体に父の背に取りつく。「おんちゃんごはんおあがんなさいって」「おはんなさいははははは」 父は両手を回し、大きな背にまたふたりをおんぶして立った。出口がせまいので少しからだを横・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ たかは、黒雲に、伝令すべく、夕闇の空に翔け上りました。古いひのきは雨と風を呼ぶためにあらゆる大きな枝、小さな枝を、落日後の空にざわつきたてたのであります。 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ どちらも、後方の本陣へ伝令を出すこともなく、射撃を開始することもなく、その日はすぎてしまった。しかし、不安は去らなかった。その夜は、浜田達にとって、一と晩じゅう、眠ることの出来ない、奇妙な、焦立たしい、滅入るような不思議な夜だった。・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 大隊長は、司令部へ騎馬伝令を発して、ユフカに於けるパルチザンを残さず殲滅せしめたと報告した。彼は、部下よりも、もっと精気に満ちた幸福を感じていた。背後の村には燃えさしの家が、ぷすぷす燻り、人を焼く、あの火葬場のような悪臭が、部隊を追っ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ と、息せき/\這入ってきた聯隊の伝令に云った。「これであります。」 伝令は封筒を出した。「どれ?」 看護長は右の手袋をぬいで、よほどそこで開けて見たそうに封を切りに二本の指を持って行ったが、何か思いかえして、廊下を奥へ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・「第百二十八聯隊の伝令!」「どこへ行くか」「第五十聯隊 聯隊本部」 歩哨はスナイドル式の銃剣を、向こうの胸に斜めにつきつけたまま、その眼の光りようや顎のかたち、それから上着の袖の模様や靴のぐあい、いちいち詳しく調べます。・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・ただね、私が宮を出ようとすると、天の伝令が一人、影のようにすうっと饗宴の物かげに入りました。間もなく、又その影の影のように、慈悲の女神が、宮を出て消えました。ね? あの女神が左からゆけば、きっと右手に私の場所がある。ミーダ さすがだ。―・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫