・・・全然、宿屋住いでもしているような形。来客。饗応。仕事部屋にお弁当を持って出かけて、それっきり一週間も御帰宅にならない事もある。仕事、仕事、といつも騒いでいるけれども、一日に二、三枚くらいしかお出来にならないようである。あとは、酒。飲みすぎる・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・申しおくれましたが、当時の僕の住いは、東京駅、八重洲口附近の焼けビルを、アパート風に改造したその二階の一部屋で、終戦後はじめての冬の寒風は、その化け物屋敷みたいなアパートの廊下をへんな声を挙げて走り狂い、今夜もまたあそこへ帰って寝るのかと思・・・ 太宰治 「女類」
・・・大金持ちの夫と別れて、おちぶれて、わずかの財産で娘と二人でアパート住いして、と説明してみても、私は女の身の上話には少しも興味を持てないほうで、げんにその大金持ちの夫と別れたのはどんな理由からであるか、わずかの財産とはどんなものだか、まるで何・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・ 健康とそれから金銭の条件さえ許せば、私も銀座のまんなかにアパアト住いをして、毎日、毎日、とりかえしのつかないことを言い、とりかえしのつかないことを行うべきでもあろうと、いま、白砂青松の地にいて、籐椅子にねそべっているわが身を抓っている・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ それに別荘は夏住まいに出来ているのだから、余り気持ちが好くなくなった。その中で焼餅話をするとなると、いよいよ不愉快である。ドリスも毎日霧の中を往復するので咳をし出した。舞台を休んで内にいる晩は、時間の過しように困る。女の話すことだけ聞・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・が襲って来て教室の建物は大破し、崩壊は免れたが今後の地震には危険だという状態になったので、自分の病気が全快して出勤するようになったときは、もう元の部屋にははいらず、別棟の木造平屋建の他教室の一室に仮り住いをすることになった。その時でもまだ元・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・T君の住まいは玄関から座敷まで百何十メートル登らなければならないのである。観測の成効を祈りつつ別れをつげた。 往路に若い男女の二人連れが自分たちの一行を追い越して浅間のほうへ登って行った。「あれは大丈夫だろうか」という疑問がわれわれ一行・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・どうせこういう種類の下宿屋住居で、そうそう愉快な室もないはずであるが、しかし随分思い切って侘しげな住まいであった。具体的な事は覚えていないが、そんな気持のした事は確かである。 机と本箱はあった。その外には幾枚かのカンヴァスの枠に張ったの・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・その以前から持ってはいたが下宿住まいではとかく都合のよくないためにほとんど手に触れずにしまい込んであったのを取り出して鳴らしていたのである。もっともだれに教わるのでもなく全くの独習で、ただ教則本のようなものを相手にして、ともかくも音を出すま・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・上田敏先生もいつぞや上京された時自分に向って、京都の住いもいわば旅である。東京の宿も今では旅である。こうして歩いているのは好い心持だといわれた事がある。 自分は動いている生活の物音の中に、淋しい心持を漂わせるため、停車場の待合室に腰をか・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫