・・・ ――こんにゃはァ、こんにゃはァ、 大きな声でふれながら、いつも町はずれから、大きな屋敷が沢山ある住宅地の方へいった。こんにゃはァ、というのは、こんにゃくだ、こんにゃくだという意味で、大声でふしをつけると、ついそんな風に言葉がツマっ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・もともと分れ分れの小屋敷を一つに買占めた事とて、今では同じ構内にはなって居るが、古井戸のある一隅は、住宅の築かれた地所からは一段坂地で低くなり、家人からは全く忘れられた崖下の空地である。母はなぜ用もない、あんな地面を買ったのかと、よく父に話・・・ 永井荷風 「狐」
・・・堤の上は大門近くとはちがって、小屋掛けの飲食店もなく、車夫もいず、人通りもなく、榎か何かの大木が立っていて、その幹の間から、堤の下に竹垣を囲し池を穿った閑雅な住宅の庭が見下された。左右ともに水田のつづいた彼方には鉄道線路の高い土手が眼界を遮・・・ 永井荷風 「里の今昔」
ソヴェト同盟の南にロストフという都会がある。ドン川という大きい河に沿って、花の沢山咲いた綺麗な街が、新しい労働者住宅やクラブの間にとおっている。私は七月のある朝、ドイツからソヴェト同盟へやって来たドイツの労働者見学団といっ・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・国民学校の教育も戸惑っている形ですし、住宅難の問題もあり、子供は可哀そうに、悪くなってゆくどっさりの条件の中に、さらされております。 こういう困難の中で、公明正大な人間を作ろうとするのは、理想論だといわれるかもしれません。しかし、子・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・「住宅問題の解決や賃金問題の解決はぬきにして」きたるべき選挙に今日の政府は勝算をもっているかもしれない、それだから組閣のはじめに用心深くさまざまの疑獄事件にひっかかりそうな閣僚をさけました。社会党のくされぐあいがあんまりひどかったおかげで吉・・・ 宮本百合子 「泉山問題について」
・・・ 外国の住宅区域というところを歩くと、たとえ塀はどんなに高くていかめしくても、そこに何か風流な工夫がほどこされてあって、思いがけぬ透格子や鉄の唐草の間から、庭のたたずまいが見えたりして、一つの街の風景をもなしている。 その界隈にこの・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・せた懐しいコローの絵のような松平家の廃園は、丸善のインク工場の壜置場に、裏手の一区画を貸与したことから、一九二三年九月一日の関東大震災後、最も殺風景なトタン塀を七八尺にめぐらし、何処か焼け出され金持の住宅敷地とされてしまった。 株で儲け・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ただ一つ覚えているのは、市電で本牧へ行く途中、トンネルをぬけてしばらく行ったあたりで、高台の中腹にきれいな紅葉に取り巻かれた住宅が点在するのをながめて、漱石が「ああ、ああいうところに住んでみたいな」と言ったことである。 三渓園の原邸では・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・この計画は後に変更され、麹町の屋敷はたしか百坪ぐらいだったと思うが、しかしその後にも、大きい住宅に対する嫌悪の感情は続いていた。あるとき藤村は、相当の富豪の息子で、文筆の仕事に携わろうとしている人の住宅の噂をしたことがある。藤村はその住宅の・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫