・・・大内は西方智識の所有者であったから歟、堺の住民が外国と交商して其智識を移し得たからである歟、我邦の城は孑然として町の内、多くは外に在るのを常として、町は何等の防備を有せぬのを例としていたが、堺は町を繞らして濠を有し、町の出入口は厳重な木戸木・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・又禹の治水にしても、洪水は黄土の沈澱によりて起る黄河の特性にして、河畔住民の禍福に關すること極めて大なるもの也。よく之を治するは仁君ともいふを得べし。然るに『書經』は支那のあらゆる河川が堯の時以來氾濫し居たりしに、禹はその一代に之を治したり・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・昔は東海道でも有名な宿場であったようですが、だんだん寂れて、町の古い住民だけが依怙地に伝統を誇り、寂れても派手な風習を失わず、謂わば、滅亡の民の、名誉ある懶惰に耽っている有様でありました。実に遊び人が多いのです。佐吉さんの家の裏に、時々糶市・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・て、私は、ほとんど無一物の戦災者であって、妻子を引き連れ、さほど豊かでもないこの町に無理矢理割り込ませてもらって、以てあやうく露命をつなぐを得ているという身の上に違いないのであるから、この町の昔からの住民に対しては、いきおい、軽薄なる社交家・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・もっともこの中立地帯の産物はその地帯の両側にある二つの世界の住民から見るとあるいは廃頽的と見られあるいは不徹底とののしられるかもしれない。しかし、結局それはすむ世界の相違であり、生まれついた人種の差別である。議論にはならない。 世界じゅ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・「なんの権利があって人間はこの自由な野の住民を殺戮するだろう」たとえばそんな疑いを起こすだけの離れた立場に身を置きうるであろうか。 映画に下手な天然色を出そうとする試みなども愚かなことのように思われる。そうして芝居の複製に過ぎないような・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ ジャングルの住民は虎でも蛇でもなんでもみんな生きるために生まれて来ているはずである。ところが、それが生きるために互いにけんかをして互いに殺し合う。勝ったほうは生きるが負かされた相手は殺される。そうして、その時には勝ったほう殺したほうも・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・そういう理想郷の住民でも、時々は例えば研究の「合理化」といったような、考えようではむしろ甚だ不合理な呼び声にしばしば脅かされなければならないことがあるのもまた事実であり、現在の現象である。 「環境」という方面から見た「研究の自由」に関す・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・ 星の世界の住民が大砲弾に乗込んで地球に進入し、ロンドン附近で散々に暴れ廻り、今にも地球が焦土となるかと思っていると、どうしたことか急にぱったりと活動を停止する。変だと思ってよく調べてみると、星の世界には悪い黴菌がいないために黴菌に対す・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・氷海の無辜の住民たる白熊に対してはソビエト探険隊員は残虐なる暴君として血と生命との搾取者としてスクリーンの上に映写されるのである。 白熊がもしもチンパンジーであったら、この映画の観客に与える情緒は少しちがうであろう。チンパンジーの代わり・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
出典:青空文庫