・・・が、実に不思議な一種の引力を起させる。あながち惚れたという訳でも無い。が、何だか自分に欠乏してる生命の泉というものが、彼女には沸々と湧いてる様な感じがする。そこはまア、自然かも知れんね――日蔭の冷たい、死というものに掴まれそうになってる人間・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・けれどもまだ日本画崇拝は変らないので、日本画をけなして西洋画をほめられると何だか癪に障ってならぬ。そこで日本と西洋との比較を止めて、日本画中の比較評論、西洋画中の比較評論というように別々に話してもろうた。そうすると一日一日と何やら分って行く・・・ 正岡子規 「画」
・・・けれども学校へ行っても何だか張合いがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居ない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶を待ってそっと横眼で威張っている卑怯な上級生が居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけた低い天井裏が無・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ いるとすきになるところよ、何だか落つくの」 庭に小松の繁茂した小高い砂丘をとり入れた、いかにも別荘らしい、家具の少ない棲居も陽子には快適そうに思われた。いくら拭いても、砂が入って来て艶の出ないという白っぽい、かさっとした縁側の日向で透・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・「こう見えても、僕なんかは三宝とは何と何だか知らないのだ。」「知らないでも帰依している。」「そんな堅白異同の弁を試みたっていけない。」 主人は笑談のような、真面目のような、不得要領な顔をしてこんな事を言った。「そうでない・・・ 森鴎外 「独身」
・・・「お前は何だか淋しそうだ。お前のお母さんを、呼んでやろうか。」「もういい、あなたが傍にいて下されば、あたし誰にも逢いたかない。」と妻はいった。「そうか、じゃ、」と彼はいって直ぐ彼女の母に来るようにと手紙を書いた。 ・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・ですがその奥さまというのが、僕のためにはナンともいえない好い方で、その方の事を考えても、話にしても、何だか妙に嬉しいような悲しいような心持がして来るんです。美人といえばそれまでですが、僕はあんな高尚な、天人のような美人は見た事がないんです。・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・が、それとは別に、クイというふうな短い音は、遠く近くで時々聞こえてくる。何だかその頻度が増してくるように思われる。それを探すような気持ちであちこちをながめていると、水面の闇がいくらか薄れて来て、池の広さがだんだん目に入るようになって来た。・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫