・・・どうか何事にも理解の届いた、趣味の広い女に仕立ててやりたい、――そういう希望を持っていたのです。それだけに今度はがっかりしました。何も男を拵えるのなら、浪花節語りには限らないものを。あんなに芸事には身を入れていても、根性の卑しさは直らないか・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・そして何事もずばずばとは言い切らないで、じっとひとりで胸の中に湛えているような性情にある憐れみさえを感じているのだ。彼はそうした気持ちが父から直接に彼の心の中に流れこむのを覚えた。彼ももどかしく不愉快だった。しかし父と彼との間隔があまりに隔・・・ 有島武郎 「親子」
・・・そしてそれから処刑までの出来事は極めて単純である。可笑しい程単純である。 獄丁二人が丁寧に罪人の左右の臂を把って、椅子の所へ連れて来る。罪人はおとなしく椅子に腰を掛ける。居ずまいを直す。そして何事とも分からぬらしく、あたりを見廻す。この・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・空想化することなしには何事も考えられぬようになっていた。 象徴詩という言葉が、そのころ初めて日本の詩壇に伝えられた。私も「吾々の詩はこのままではいけぬ」とは漠然とながら思っていたが、しかしその新らしい輸入物に対しては「一時の借物」という・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ その日は、何事もなかった――もとの墓地を抜けて帰った――ものに憑かれたようになって、夜はおなじ景色を夢に視た。夢には、桜は、しかし桃の梢に、妙見宮の棟下りに晃々と明星が輝いたのである。 翌日も、翌日も……行ってその三度の時、寺の垣・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 何事をするも明日の事、今夜はこれでと思いながら、主なき家の有様も一見したく、自分は再び猛然水に投じた。道路よりも少しく低いわが家の門内に入ると足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。 幸に家族の者が逃げる時に消・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・僕は、何事もなるようになれというつもりで、苦しい胸を押えていた。が、表面では、そう沈んだようには見せたくなかったので、からかい半分に、「区役所が一番恋しいだろう?」「いいえ」吉弥はにッこりしたが、口を歪めて、「あたい、やッぱし青木さんが・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・劇作家または小説家としては縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠でなかった事を肯て直言する。何事にも率先して立派なお手本を見せてくれた開拓者ではあったが、決して大成した作家ではなかった。 が、考証はマダ僅に足を踏掛けたばかりであっても、そ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 空の色のうす紅い、晩方のことでありました。彼は、疲れた足をひきずりながら、町の中を歩いてきますと、あちらに人がたかっていました。 何事があるのだろう? と思って、若者はその人だかりのしているそばにいってみますと、汚らしい少年をみん・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・とが見ゆるばかりで、如何しても頭が枕から上らないから、それから上は何にも解らない、しかもその苦しさ切無さといったら、昨夜にも増して一層に甚しい、その間も前夜より長く圧え付けられて苦しんだがそれもやがて何事もなく終ったのだ、がこの二晩の出来事・・・ 小山内薫 「女の膝」
出典:青空文庫