・・・ 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸に米を啄み家鴨は水に泥鰌を追うを悟り、寝静まりたる家家の・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・ 松任にて、いずれも売競うなかに、何某というあんころ、隣国他郷にもその名聞ゆ。ひとりその店にて製する餡、乾かず、湿らず、土用の中にても久しきに堪えて、その質を変えず、格別の風味なり。其家のなにがし、遠き昔なりけん、村隣りに尋ぬるものあり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ ――今朝も、その慈愛の露を吸った勢で、謹三がここへ来たのは、金石の港に何某とて、器具商があって、それにも工賃の貸がある……懸を乞いに出たのであった―― 若いものの癖として、出たとこ勝負の元気に任せて、影も見ないで、日盛を、松並木の・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 垣も、隔ても、跡はないが、倒れた石燈籠の大なのがある。何某の邸の庭らしい中へ、烟に追われて入ると、枯木に夕焼のしたような、火の幹、火の枝になった大樹の下に、小さな足を投出して、横坐りになった、浪吉の無事な姿を見た。 学校は、便宜に・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・が、筆のついでに、座中の各自が、好、悪、その季節、花の名、声、人、鳥、虫などを書きしるして、揃った処で、一……何某……好なものは、美人。「遠慮は要らないよ。」 悪むものは毛虫、と高らかに読上げよう、という事になる。 箇条の中に、・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・この村の何某、秋の末つ方、夕暮の事なるが、落葉を拾いに裏山に上り、岨道を俯向いて掻込みいると、フト目の前に太く大なる脚、向脛のあたりスクスクと毛の生えたるが、ぬいとあり。我にもあらず崖を一なだれにころげ落ちて、我家の背戸に倒れ込む。そこにて・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ いつかは、何かの新聞で、東海道の何某は雀うちの老手である。並木づたいに御油から赤坂まで行く間に、雀の獲もの約一千を下らないと言うのを見て戦慄した。 空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・姿を撓わに置きつつ、翡翠、紅玉、真珠など、指環を三つ四つ嵌めた白い指をツト挙げて、鬢の後毛を掻いたついでに、白金の高彫の、翼に金剛石を鏤め、目には血膸玉、嘴と爪に緑宝玉の象嵌した、白く輝く鸚鵡の釵――何某の伯爵が心を籠めた贈ものとて、人は知・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・冷々然として落着き澄まして、咳さえ高うはせず、そのニコチンの害を説いて、一吸の巻莨から生ずる多量の沈澱物をもって混濁した、恐るべき液体をアセチリンの蒼光に翳して、屹と試験管を示す時のごときは、何某の教授が理化学の講座へ立揚ったごとく、風采四・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ ところでその金屏風の絵が、極彩色の狩野の何某在銘で、玄宗皇帝が同じ榻子に、楊貴妃ともたれ合って、笛を吹いている処だから余程可笑しい。 それは次のような場合であった。 客が、加賀国山代温泉のこの近江屋へ着いたのは、当日午少し下る・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
出典:青空文庫