・・・ 西洋人 この学校へは西洋人が二人、会話や英作文を教えに来ていた。一人はタウンゼンドと云う英吉利人、もう一人はスタアレットと云う亜米利加人だった。 タウンゼンド氏は頭の禿げた、日本語の旨い好々爺だった。由来西洋人・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ 綴り方の時にこういう作文を出したら、先生が皆んなにそれを読んで聞かせて、「寝る時にも手に持って寝ます。寝る時にも手に持って寝ます」と二度そのところを繰返してわはははとお笑いになりました。皆んなも、先生が大きな口を開いてお笑いになるのを・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・が私を一目見て、なんや、あの人ひとの顔もろくろくよう見んとおずおずしたはるやないの、作文つくるのを勉強したはるいうけどちっとも生活能力あれへんやないのと、Kに私のことを随分くさしたからである。「亀さん」はあるデパートのネクタイ部で働いている・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・そういう関係から劇に志したのには無論違いないだろうけれど、しかし、中学校の三年生の時の作文に、股旅物の戯曲を書いて叱られたところを見ると、もともと好きだったのだろう。そういえば、たしか小学校の五年生の時にも対話風の綴方を書いていた。彼女だと・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・机の前に端座して生徒の清書を点検したり、作文を観たり、出席簿を調べたり、倦ぶれた時はごろりとそこに寝ころんで天井をながめたりしている。 午後二時、この降るのに訪ねて来て、中二階の三段目から『時田!』と首を出したのは江藤という画家である、・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・一方、豆本熱は病こうこうに入って、蒐集した長篇講談はぼくの背を越しました。作文の時間には指名されて朗読しました。『新聞』と云う題で夕刊売の話を書き級中を泣かせました。俳句を地方新聞にも出されました。ぼくは幼ないジレッタント同志で廻覧雑誌を作・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・芹川さんは、学校に居た頃から漱石や蘆花のものを愛読していて、作文なども仲々大人びてお上手でしたが、私は、その方面は、さっぱりだめでございました。ちっとも興味を持てなかったのです。それでも、学校を出てからは、芹川さんのちょいちょい持って来て下・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・お茶の水の女学校に通うようになってからは、クラスの中で、私のつまらない綴方の、当選などを知っていたかたは、ひとりも居りませんでしたので、私は、ほっとしたのです。作文のお時間にも、私は気楽に書いて、普通のお点をもらっていました。けれども、柏木・・・ 太宰治 「千代女」
・・・こういう意味で、数学というものは一種の「自働作文器械」とでも言われないことはないのである。しかし、事実は決してそれほど簡単ではない。ことに数学を物理的現象の研究に応用する場合になると、数学は他の畑から借用して来た一つの道具であって、これをど・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・文典の巻末にある作文や翻訳の例題と同格な応用数学的論文もなくはない。 近ごろ Heinrich Hackmann : Der Zusammenhang zwischen Schrift und Kultur in China (1928・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
出典:青空文庫