・・・だが、こんなところから得たものか、作文は学校においても比較的得手であったように記憶している。 そのほか、自分の家から少しばかり離れた所に親戚があって、そこへ行くといつも書物を出しては、手当たり次第に読んでみた。その中でも「八犬伝」「三国・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱られたり、発音が間違っていると怒られたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるか・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・そのうちキッコは算術も作文もいちばん図画もうまいので先生は何べんもキッコさんはほんとうにこのごろ勉強のために出来るようになったと云ったのでした。二学期には級長にさえなったのでした。その代りもうキッコの威張りようと云ったらありませんでした・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
・・・日本の工場学校と云えば体のいい徒弟養成所か、さもなければ製糸所の女工さんなどをプロレタリアの女として目ざまさない為に、いろんなブルジョアくさい女学校の型ばかりの真似をして、役にも立たない作文だの、活花だの、作法だので労働の中から自ずと湧く階・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・というものを制作するのに、教師は決して誰それサン、作文を書きなさいとは命じない。めいめいが相談しあって、自分の一番得手な、やりたい技術でその仕事に参加する。或る子は一生懸命スターリンの論文をひっぱって論文を書く。或る子は絵でスケッチをやる。・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
或る若い母さんのうちに小学四年になった男の子がいる。一人っ子であるから、どうしても親たちの生活の目撃者となることが多い。 その子が或るとき作文を書いた。父さんと母さんが喧嘩をしました。父さんが大きい声で出てゆけと云って・・・ 宮本百合子 「子供の世界」
・・・こうして雨の中を心地わるく学校へ来た三吉と一郎とが、その日雨という題で作文を書かせられたとしたら、この二人の、全く違う境遇の少年らは、各自の心に映った雨をどのように描くであろうか。一郎が、僕は雨の日は面白いと思うと、雨の中を闊歩する活溌な描・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・最後の一句のおかげで、旧約聖書の雅歌の一くさりまでを引用し、築かれた幻想の世界はにわかに作者自身によってかきまわされ、こわされ、読者は索然と、何か作文を読まされたような感想を抱くのである。 川端氏の芸術境において、こういう顕著な気分の崩・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・随筆への傾きはこの時期更に一歩を進めて、少女の作文にさえ何かの新味と現実の姿とをみようとする状態であった。川端康成が、女子供の文章の真実を、その素朴な偽なさの故に評価しようとしたことも、大局からみればやはり文学の夥しい自己喪失を意味するもの・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・わきで、大きな体のピリニャークが、煙草をふかしながら、彼の作文「日本の印象記」の中から朗読すべき部分を選んでいる。 開会がおくれて、すんだのは夜の十二時頃だった。一服しようと云うことになって、食堂へゾロゾロ下りた。――地下室なのだ。・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
出典:青空文庫