・・・何しろ萩寺と云えば、その頃はまだ仁王門も藁葺屋根で、『ぬれて行く人もをかしや雨の萩』と云う芭蕉翁の名高い句碑が萩の中に残っている、いかにも風雅な所でしたから、実際才子佳人の奇遇には誂え向きの舞台だったのに違いありません。しかしあの外出する時・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 正にこの声、確にその人、我が年紀十四の時から今に到るまで一日も忘れたことのない年紀上の女に初恋の、その人やがて都の華族に嫁して以来、十数年間一度もその顔を見なかった、絶代の佳人である。立花は涙も出ず、声も出ず、いうまでもないが、幾年月・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 一風呂の浴みに二人は今日の疲れをいやし、二階の表に立って、別天地の幽邃に対した、温良な青年清秀な佳人、今は決してあわれなかわいそうな二人ではない。 人は身に余裕を覚ゆる時、考えは必ずわれを離れる。「おとよさんちょっとえい景色ね・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・春城の雨 白蝶魂は寒し秋塚の風 死々生々業滅し難し 心々念々恨何ぞ窮まらん 憐れむべし房総佳山水 渾て魔雲障霧の中に落つ 伏姫念珠一串水晶明らか 西天を拝し罷んで何ぞ限らんの情 只道下佳人命偏に薄しと 寧ろ知らん毒婦恨平らぎ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・てこの猿芝居的欧化政策に同感すると思いの外慨然として靖献遺言的の建白をし、維新以来二十年間沈黙した海舟伯までが恭謹なる候文の意見書を提出したので、国論忽ち一時に沸騰して日本の危機を絶叫し、舞踏会の才子佳人はあたかも阪東武者に襲われた平家の公・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・此方のことは佳人伝というものに出て居る、雪江先生のことは香亭雅談其他に出て居る。父も兄も皆雪江先生に学んだので、其縁で小さいけれども御厄介になったのです。随分大勢習いに来るものもありました。男女とも一室で、何でも年の大きい女の傍に小さい男の・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの、飜訳物をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・川の向う岸に石を投げようとして、大きくモオションすると、すぐ隣に立っている佳人に肘が当って、佳人は、あいたた、と悲鳴を挙げる。私は冷汗流して、いかに陳弁しても、佳人は不機嫌な顔をしている。私の腕は、人一倍長いのかも知れない。 随筆は小説・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの飜訳をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・「ロビンソン・クルーソー」などの物語を、あるいは当時の少年雑誌「少国民」や「日本の少年」の翻訳で読み、あるいは英語の教科書中に採録された原文で読んだりした。一方ではまた「経国美談」「佳人之奇遇」のごとき、当時では最も西洋臭くて清新と考えられ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫