・・・ 叔母は答を促すように、微笑した眼を洋一へ向けた。「ありゃさっきお絹ちゃんが、持って来た香水を撒いたんだよ。洋ちゃん。何とか云ったね? あの香水は。」「何ですか、――多分床撒き香水とか何んとか云うんでしょう。」 そこへお絹が・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・治修はもう一度促すように、同じ言葉を繰り返した。が、今度も三右衛門は袴へ目を落したきり、容易に口を開こうともしない。「三右衛門、なぜじゃ?」 治修はいつか別人のように、威厳のある態度に変っていた。この態度を急変するのは治修の慣用手段・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ 友人たちは皆賛成だと見えて、てんでに椅子をすり寄せながら、促すように私の方を眺めました。そこで私は徐に立ち上って、「よく見ていてくれ給えよ。僕の使う魔術には、種も仕掛もないのだから。」 私はこう言いながら、両手のカフスをまくり・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・と、気忙わしそうに促すと、自分も降り出した雨に慌てて、蚊やり線香の赤提燈をそうそうとりこめに立ったと云います。そこでお敏も、「じゃ叔母さん、また後程。」と挨拶を残して、泰さんと新蔵とを左右にしながら、荒物屋の店を出ましたが、元より三人ともお・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・花田は重いものをたびたび落として自分のほうに注意を促す。沢本は苦痛の表情を強めて同情をひく。青島はとも子の前にすわってじっとその顔を見ようとする。戸部は画箱の掃除をはじめる。とも子 では始めてよ。……花田さん、あなたは才覚があって画・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の雁が二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。 ようやく田圃へ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種の感情が胸に湧いた。それは外でもない、何となく家に這入りづらいと言う心持である。・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・小樅はある程度まで大樅の成長を促すの能力を持っております。しかしその程度に達すればかえってこれを妨ぐるものである、との奇態なる植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見せられたのであります。しかもこの発見はデンマーク国の開発にとりては実に絶・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・こそ自発的に読書への欲求を促すものである。法然はその「問い」の故に比叡山で一切経をみたびも閲読したのである。 書物は星の数ほどある。しかしかような「問い」をもってたち向かうとき、これに適切に答え得る書物はそれほど多いものではないのである・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ 帰りがけに藤二を促すと、なお、彼は箱の中の新しい独楽をいじくっていた。他から見ても、如何にも、欲しそうだった。しかし無理に買ってくれともよく云わずに母のあとからついて帰った。 二 隣部落の寺の広場へ、田舎廻りの・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・ 兵士は横たわったままほかの者を促すように、こんなことを云った。「ま、ゆっくりせい。」「何だ、吉川はかくれて煙草をのんでいたんか――俺に残りをよこせ!」 白樺の下で、軍曹が笑い声でこんなことを云っているのが栗本に聞えてきた。・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
出典:青空文庫