・・・赤天狗青天狗銀天狗金天狗という順序で煙草の品位が上がって行ったが、その包装紙の意匠も名に相応しい俗悪なものであった。轡の紋章に天狗の絵もあったように思う。その俗衆趣味は、ややもすればウェルテリズムの阿片に酔う危険のあったその頃のわれわれ青年・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・バックに緑色の布のかかった箪笥があって、その上に書物や新聞の雑然と置いてあるのがいかにもうるさくて絵全体を俗悪にしてしまうから、あとからすっかり塗りつぶしてそのかわりに暗緑色の幕をたれたようなぐあいに直してみた。そうしたら顔が急に引き立って・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵がたくさん陳列してあったので少しいやになりました。至るところの谷や斜面には牧場が連なり、りんごが実って、美しい国だと思いました。 それからストラスブルクを見て、・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ずいぶん俗悪な木版刷りではあったが、しかし現代の子供の絵本のあくどい色刷りなどに比較して考えるとむしろ一種稚拙にひなびた風趣のあるものであったようにも思われる。 同じく昔の郷里の夏の情趣と結びついている思い出の売り声の中でも枇杷葉湯売り・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ら、モオリスは世のいわゆる高尚優美なる紳士にして伊太利亜、埃及等を旅行して古代の文明に対する造詣深く、古美術の話とさえいえば人に劣らぬ熱心家でありながら、平然として何の気にする処もなく、請負普請の醜劣俗悪な居室の中に住んでいる人があると慨嘆・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・三田派の或評論家が言った如く、その趣味は俗悪、その人品は低劣なる一介の無頼漢に過ぎない。それ故、知識階級の夫人や娘の顔よりも、この窓の女の顔の方が、両者を比較したなら、わたくしにはむしろ厭うべき感情を起させないという事ができるであろう。・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・小径の片側には園内の地を借りて二階建の俗悪な料理屋がある。その生垣につづいて、傾きかかった門の廡には其文字も半不明となった南畝のへんがくが旧に依って来り訪う者の歩みを引き留める。門をはいると左手に瓦葺の一棟があって其縁先に陶器絵葉書のたぐい・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。そして栄華の昔には洒落半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お浚い・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・菊人形の趣味に一層の俗悪を加えたものである。斯くの如き傾向はいつの時に其の源を発したか。混沌たる明治文明の赴くところは大正年間十五年の星霜を経由して遂にこの風俗を現出するに至ったものと看るより外はない。一たび考察をここに回らせば、世態批判の・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・それで彼らのヴィジョンが破れ、悠々たる無限の時間が、非東洋的な現実意識で、俗悪にも不調和に破れてしまった。支那人は馳け廻った。鉄砲や、青竜刀や、朱の総のついた長い槍やが、重吉の周囲を取り囲んだ。「やい。チャンチャン坊主奴!」 重吉は・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫