・・・しかしまた俗流の毀誉を超越して所信を断行している高士の顔も涼しかりそうである。しかしこの二つの顔の区別はなかなかわかりにくいようである。また、少し感の悪いうっかり者が、とんでもない失策を演じながら当人はそれと気がつかずに太平楽な顔をしている・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・河合、三木その他の諸氏によって、誤れる客観主義、あしき客観主義と云われたのは、機械的、反映論風に唯物史観が俗流化されて一般に流布されているため、青年の多くのものは、人類史的規模の中で主体的に自己の人間性の積極性をつかまず、何しろこの世の中で・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・芭蕉というと枯淡と言葉を合わせ、一笠一杖の人生行脚の姿を感傷的に描くのが俗流風雅の好みである。真実の芸術家として、芭蕉が「此一筋につながる」とばかり執拗に、果敢に破綻をもおそれず、即発燃焼を志して一箇の芸術境をきずいて行った姿というものは、・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫