・・・云々の信号を掲げたということはおそらくはいかなる戦争文学よりもいっそう詩的な出来事だったであろう。しかし僕は十年ののち、海軍機関学校の理髪師に頭を刈ってもらいながら、彼もまた日露の戦役に「朝日」の水兵だった関係上、日本海海戦の話をした。する・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・あの小さい尻尾を振るのは彼を案内する信号である。「こっち! こっち! そっちじゃありませんよ。こっち! こっち!」 彼は鶺鴒の云うなり次第に、砂利を敷いた小径を歩いて行った。が、鶺鴒はどう思ったか、突然また空へ躍り上った。その代り背・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・葉。信号。風。あっ! 四「佐竹。ゆうべ佐野次郎が電車にはね飛ばされて死んだのを知っているか」「知っている。けさ、ラジオのニュウスで聞いた」「あいつ、うまく災難にかかりやがった。僕なんか、首でも吊らなければおさまり・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・このいたずらを利用したものの例としては三角測量の際に遠方の三角点から光の信号を送るへリオトロープがあり、その他色々な光束が色々の信号に使われるのは周知のことである。自分の子供の時分に屋内の井戸の暗い水底に薬鑵が沈んだのを二枚の鏡を使って日光・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ある時向こうの山頂の回照器がいつまで待っても光を送らない。信号をしても返事がない。行って見ると櫓から落ちて死んでいた。深山にただ一人だから行って見るまでわからなかったし、死因も全然不明であったのである。 最も大規模な測量の例としてはこん・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 矢来下行き電車に乗って、理研前で止めてもらおうとしたが、後部入り口の車掌が切符切りに忙しくてなかなか信号ベルのひもを引いてくれない。やっと一度引くには引いたが、運転手は聞こえないと見えて停車しないでとうとう通り過ぎて行った。早く止めて・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・処々の交番なり電車停留所に掲示するもいいだろうし、処々に信号の旗を立てるもいいだろう。 不幸の広告なども一週間とは待てない種類のものだと考えられるかもしれない。しかし私の考えでは、不幸の知らせは元来書状でほんとうの意味の知友にのみ出すべ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・そうして庭の樹立の上に聳えた旧城の一角に測候所の赤い信号燈が見えると、それで故郷の夏の夕凪の詩が完成するのである。 そういう晩によく遠い沖の海鳴りを聞いた。海抜二百メートルくらいの山脈をへだてて三里もさきの海浜を轟かす土用波の音が山を越・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐がすっかり煤けたよ。」「そうかねえ。」「いまも毎朝新・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園に拵え直すというので、その景色のいいまわりにアカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたまま、わたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫