・・・道太は東京を立つ時から繃帯をしていた腕首のところが昨日飲みすぎた酒で少し痛みだしていたので、信州で有名な接骨医からもらってきたヨヂュームに似たような薬を塗りながら、「お芳さんの旦那ってどんな人なの」「青物の問屋。なかなか堅いんですの・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・いうた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風であったがその国に一人の男があって王の愛犬を殺すという騒ぎが起った、その罪でもってこの者は死刑に処せられたばかりでなく、次の世には粟散辺土の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った、ところ・・・ 正岡子規 「犬」
・・・○桑の実を食いし事 信州の旅行は蚕時であったので道々の桑畑はいずこも茂っていた。木曾へ這入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑である。その桑畑の囲いの処には幾年も切らずにいる大きな桑があってそれには真黒な実がおびただしくなっておる。見逃が・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方向というものがこの作品には充実して盛られている。信州地方の風景的生活的特色、東京の裏町の生活気分を、対比してそれぞれを特徴において描こうとしているところ、又、主人公おふみの生きる姿の推移をその雰囲気・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 信州でも、地下鉄のストライキとその婦人も勇敢に闘ったやりかたについては話に花が咲いたのであった。 ストライキは会社と警察を手古摺らせたが強制調停で終った。出征兵士は欠勤とし軍隊の日給をさし引いた賃銀を支給すること、各駅にオゾン発生・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・スエ子はこの三日間ばかり信州八ヶ嶽の麓の小海線という高原列車の沿線へ行き美しく日にやけてかえりました。私は家でギューギュー。そして、貴方にきょう「太陽」という題でヴォルフ博士がライカ・カメラで撮った海陸写真集をお送りいたします。 もう涼・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
はなしはちょっとさかのぼるが、一月六日アカハタ「火ばな」に「宮本さんの話」という投書があった。一月も六日といえば、選挙闘争に本腰がはいって、その日の紙面もトップに田中候補が信州上田で藤村の「破戒に学ぼう」と闘っているニュー・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・せんだって私は信州に数日暮し、土地の新聞を見て、深く感じた。信州は養蚕地であるから、本年の繭の高価は一般の農民をうるおしたはずであり、例えば呉服店などで聞けば、今年は去年の倍うれるという。しかしながら、新聞は、繭の高価を見越し、米の上作を見・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・油屋という家に入りて憩う。信州の鯉はじめて膳に上る、果して何の祥にや。二時間眠りて、頭やや軽き心地す。次の汽車に乗ればさきに上野よりの車にて室を同うせし人々もここに乗りたり。中には百年も交りたるように親みあうも見えて、いとにがにがしき事に覚・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・戦争の最後の年、空襲がようやく激甚となってくるころに、先生は、病を押して災禍を信州に避けられた。その後東京の町は激しく破壊され、先生が大震災後住みついていられたお宅も、愛蔵された書籍や書画や骨董とともに焼けてしまった。それのみか、戦いの終わ・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫