・・・ 善ニョムさんは、老人のわりに不信心家だが、作物に対しては誰よりも熱心な信心家だった。雲が破けて、陽光が畑いちめんに落ちると、麦の芽は輝き躍って、善ニョムさんの頬冠りは、そのうちにまったく融けこんでしまった。 それだから、ちょうどそ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・世の中には宗旨を信心して未来を祈る者あり。その目的は死後に極楽に往生していわゆる「パラダイス」の幸福を享けんとの趣意ならん。深謀遠慮というべし。されども不良の子に窘しめらるるの苦痛は、地獄の呵嘖よりも苦しくして、然も生前現在の身を以てこの呵・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ ゆえに本書の如きは民間一個人の著書にして、その信不信をばまったく天下の公論に任じ、各人自発の信心をもってこれを読ましむるは、なお可なりといえども、いやしくも政府の撰に係るものを定めて教科書となし、官立・公立の中学校・師範学校等に用うる・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・駈けつけて、段々今までの罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願い叶え得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善・・・ 正岡子規 「犬」
・・・そうすると坊さんが言うには「今のお話しのうちの意志の自由を打消すという事は吾々の宗旨で平生いう所の他力信心に似て居る」というた。〔『ホトトギス』第五巻第七号 明治35・4・20 一〕○おとどしの春黙語氏の世話で或人の庭に捨ててあ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ こう云うのも病気のため、ああ怒るのも痛みのため、お節の日々は、涙と歎息と、信心ばかりであった。 気の荒くなった栄蔵は、要領を得ない医者に口論を吹かける事がある。「一寸も分らん医者はんや、 私はもう貴方の世話んならんとえ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・年をとった女に歌心、絵心、それでなければ信心がある方がいいこと等。 これあるかな松茸飯に豆腐汁。昼はこれ。 M氏来。もう御昼はすみました。でもまあ一膳召しあがれよ。二度目の御昼だが美味かったそうだ。結構。皆おいしがったから、さだ嬉し・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・ そういう憤ろしい思いで雨の中をのぼり下った琴平の大鳥居の下に、こういう小道や公会堂があって、暗いやるせない信心とはまるでちがう新しい気運が、そこで開かれている会合で活溌に表現されている現在が愉快であった。こういう著るしい歴史の対照のも・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・ 一体にアイヌは信心深く、山に行って猟をする時も畑を作る時も、地面を掘る時も、先ずイナオを立てて私共に飲水をお与え下さいとか穀物のよく実るようにとか云って、熱心に祈祷をいたします。けれども、イナオを取扱ったり祈祷をするのは、総べて男子の・・・ 宮本百合子 「親しく見聞したアイヌの生活」
・・・大聖威怒王も、ちぇイ日ごろの信心を……おのれ……こはこは平太の刀禰、などその時に馳せついて助…助太刀してはたもらんだぞ」 怨みがましく言いながら、なおすぐにその言葉の下から、いじらしい、手でさしまねいで涙を啜り、「聞きなされ。ああ何・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫