・・・八が岳は、ね、もっと信濃へはいってから、この反対側のほうに見えるのです。笑われますよ。これは、駒が岳。別名、甲斐駒。海抜二千九百六十六米。どんなもんだい、と胸の奥で、こっそりタンカに似たものを呟いてみるのだが、どうもわれながら、栄えない。俗・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・嘘、とはっきり知りながら、汽車に乗り、馬車に乗り、雪道歩いて、わたくしたち親子三人、信濃の奥まで、まいりました。いま、思い出しても、せつなくなります。信濃の山奥の温泉に宿をとり、それからまる一年間、あの子は、降っても照っても父のお伴して山を・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・それがたび重なると、笑顔の美しいことも、耳の下に小さい黒子のあることも、こみ合った電車の吊皮にすらりとのべた腕の白いことも、信濃町から同じ学校の女学生とおりおり邂逅してはすっぱに会話を交じゆることも、なにもかもよく知るようになって、どこの娘・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・――明治四四、七、一『信濃教育』―― 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 唱歌の先生も仲間になって三人で戻って来た一年の先生の家の茶の間には、乾うどんが山とあって、女中さんはうれしそうに、顔を見るなり、「信濃屋から、うどんを持って来ました」と報告した。信濃屋というのは、今五年にいてあの手紙をわたされ・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・ 信濃教育会教育研究所が、小学生の行動について父兄が問題だと考える点を調査したら、「無作法」各学年を通じて七〇%、「根気がない」三年七六%、六年七三%、「理窟をこねるが実行力がない」各学年四二%そのほかだった。青少年の育ってゆく精神・・・ 宮本百合子 「修身」
・・・八王子を経て、甲斐国に入って、郡内、甲府を二日に廻って、身延山へ参詣した。信濃国では、上諏訪から和田峠を越えて、上田の善光寺に参った。越後国では、高田を三日、今町を二日、柏崎、長岡を一日、三条、新潟を四日で廻った。そこから加賀街道に転じて、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・この間に信濃川にかけたる舟橋あり。水清く底見えたり。浅瀬の波舳に触れて底なる石の相磨して声するようなり。道の傍には細流ありて、岸辺の蘆には皷子花からみつきたるが、時得顔にさきたり。その蔭には繊き腹濃きみどりいろにて羽漆の如き蜻とんぼうあまた・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫