・・・自分の見るところでは、俳人芭蕉などはどちらかと言えば後者に属するのではないかという気がする。もしそうだとすると、官能的であるということ自身がそれほどいけない事でもなさそうである。 科学的にもやはり抽象型と具象型、解析型と直観型があるが、・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 一流の俳人で同時に一流の外国語学者でない限り、俳句の翻訳には手を下さないほうが安全であろう。 三 故坂本四方太氏とは夏目先生の千駄木町の家で時々同席したことがあり、また当時の「文章会」でも始終顔を合わせては・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・そうして、儒家は儒になずみ仏徒は仏にこだわっている間に、門外の俳人たちはこれらのどれにもすがりつかないでしかもあらゆるものを取り込み消化してそのエッセンスを固有日本人の財産にしてしまったように見える。すなわち芭蕉は純日本人であったのである。・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・私の知っているある歌人の話ではその知人の歌人中で自殺した人の数がかなり大きな百分率を示している。俳人のほうを聞いてみると自殺者はきわめてまれだという。もちろんこれは僅少な材料についての統計であるから、一般に適用される事かどうかはわからないが・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・もちろんこれは自分等の年輩のものの自分勝手な見方ではあろうが、こうした見方もあるいは現代の俳人に多少の参考にはなるかもしれないと思ったので思い出話のついでに拙ない世迷言を並べてみた次第である。・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・しかし私がここでこういう未熟で大胆な所説をのべることのおもな動機は、そういう学問的のものではなく、むしろただ一個の俳人としてのまた鑑賞家としての「未来の連句」への予想であり希望である。簡単に言えば、将来ここで想像した作曲者あるいは映画監督の・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 逢うごとにいつもその悠然たる貴族的態度の美と洗錬された江戸風の性行とが、そぞろに蔵前の旦那衆を想像せしむる我が敬愛する下町の俳人某子の邸宅は、団十郎の旧宅とその広大なる庭園を隣り合せにしている。高い土塀と深い植込とに電車の響も自ずと遠・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・一日島田はかつて爾汝の友であった唖々子とわたしとを新橋の一旗亭に招き、俳人にして集書家なる洒竹大野氏をわれわれに紹介した。その時島田と大野氏とは北品川に住んでいる渋江氏が子孫の家には、なお珍書の存している事を語り、日を期してわたしにも同行を・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ わたくしは夜烏子がこの湯灌場大久保の裏長屋に潜みかくれて、交りを文壇にもまた世間にも求めず、超然として独りその好む所の俳諧の道に遊んでいたのを見て、江戸固有の俳人気質を伝承した真の俳人として心から尊敬していたのである。子は初め漢文を修・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫