・・・朝六時に、カラーをつけない背広の襟にマフラをまきつけて合外套などというものは身にもつけずに働きに出る勤労の人々が、夕方には顔の見えなくなる迄電燈を倹約して窓べりで待っている妻子のところへ戻ってゆく朝から夜が、やはり頽廃していたとどうして云う・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・こちらでは時間を倹約する唯一の道具として、極端に近く実際的に行われて居ります。 斯うして並べて来ると、アメリカの婦人は、只良い点ほかないように見えるでございましょう。けれども、私は決してそうではないと思います。彼等にも欠点はございます。・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ だが、レーニンが住んでいた室という写真の他のどれを見ても、机がきっとあると同時にきっと粗末な寝台がうつっている、彼がそれだけ、いつも倹約に生活していたことの証拠だろう。 ――元、この室にいろんなものが陳列してあったんですが、それは・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・――今は出るけれども、水倹約の布告を出しました、今日。 〔欄外に〕○デーニギ 電報が来るまで待って居てよろしい? 私銀行へ若しかしたら行きません。○リリオム いいでしょう?○新興芸術では、チェッコ・スロァキア注目・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・ と魚やの若い衆に罵倒される程倹約な暮しをしていたそうだ。裏にジャガ薯畑があって、そこからとれるジャガ薯ばっかりおかずにしていたと、笑って話したことがある。 はじめて父が外国留学をしていた時代の若い母の思い出や、それから後私が十七八にな・・・ 宮本百合子 「母」
・・・平生人には吝嗇と言われるほどの、倹約な生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るもののほか、寝巻しかこしらえぬくらいにしている。しかし不幸な事には、妻をいい身代の商人の家から迎えた。そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・そして大阪土佐堀三丁目の蔵屋敷に着いて、長屋の一間を借りて自炊をしていた。倹約のために大豆を塩と醤油とで煮ておいて、それを飯の菜にしたのを、蔵屋敷では「仲平豆」と名づけた。同じ長屋に住むものが、あれでは体が続くまいと気づかって、酒を飲むこと・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫