・・・が、江口の人間的興味の後には、屡如何にしても健全とは呼び得ない異常性が富んでいる。これは菊池が先月の文章世界で指摘しているから、今更繰返す必要もないが、唯、自分にはこの異常性が、あの黒熱した鉄のような江口の性格から必然に湧いて来たような心も・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・「まだ僕は健全じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから。」 O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答えなかった。が、僕の心もちはO君にははっきり通じたらしかった。 そのうちに僕等は松の間を、――疎らに低い・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・お前は世間体というものを知ってるから、平生、吾が健全な時でも、そんな事はにも出さないほどだ。それが出来るくらいなら、もう疾くに離別てしまったに違いない。うむ、お貞、どうだ、それとも見棄てて、離縁が出来るか。」 お貞は一思案にも及ばずして・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ しかし、厳密にいえば、健全なる家庭生活以外には、家族制度の基礎がありとは、考えられないのであるが、すでに、家庭にしてかくのごとくとせば、学校がこれに代り、もしくは社会が、児童を擁護しなければならぬのは当然のことです。幼弱者虐待防止案と・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・ 概念的な教育、束縛的な倫理観が、健全な真実な教育上にどれ程禍しているか分らない。又この頃自由教育云々に就てある知事とある教育者とが争った事があるが、今日に至ってまだ学校教育を政治の上から云為せんとするそれらの人が、どれだけ人間性の発達・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
僕は視力が健全である。これはありがたいものに思っている。むしろ己惚れている。 己惚れの種類も思えば数限りないものである。人は己惚れが無くてはさびしくて生きておれまい。よしんばそれが耳かきですくう程のささやかな己惚れにせよ、人は・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・「小田のようなのは、つまり悪疾患者見たいなもので、それもある篤志な医師などに取っては多少の興味ある活物であるかも知れないが、吾々健全な一般人に取っては、寧ろ有害無益の人間なのだ。そんな人間の存在を助けているということは、社会生活という上から・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・日本にも少し健全な男女交際の機会が与えられねばならぬと思う。 すべての精神的に貴重なものが、そうであるように、恋愛もまた社会状態、経済的機構のいびつのために、みじめに押しまげられている。恋愛についてこうした理想的な要請をする場合に、私た・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・豊富なる生殖は、つねに健全なる生活から出るのである。かくて新陳代謝する。種保存の本能が、大いに活動しているときは、自己保存の本能は、すでにほとんどその職分をとげているはずである。果実をむすばんがためには、花はよろこんで散るのである。その児の・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 而して此一致・合同は、常に自己保存が種保存の基礎たり準備たることに依て行われる、豊富なる生殖は常に健全なる生活から出るのである、斯くて新陳代謝する、種保存の本能大に活動せるの時は、自己保存の本能は既に殆ど其職分を遂げて居る筈である、果・・・ 幸徳秋水 「死生」
出典:青空文庫