・・・王子は、四年前の恐怖を語り、また此度の冒険を誇り、王さまはその一語一語に感動し、深く首肯いてその度毎に祝盃を傾けるので、ついには、ひどく酔いを発し、王妃に背負われて別室に退きました。王子と二人きりになってから、ラプンツェルは小さい声で言いま・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・少なくもアインシュタイン以前の力学や電気学における基礎的概念の発展沿革の骨子を歴史的に追跡し玩味した後にまず特別相対性理論に耳を傾けるならば、その人の頭がはなはだしく先入中毒にかかっていない限り、この原理の根本仮定の余儀なさあるいはむしろ無・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・世界の如何なる片隅をも我家のように楽しく談笑している外国人の中に交って、自分ばかりは唯独り心淋しく傾けるキァンチの一壜に年を追うて漸く消えかかる遠い国の思出を呼び戻す事もあった。 銀座界隈には何という事なく凡ての新しいものと古いものとが・・・ 永井荷風 「銀座」
哀愁の詩人ミュッセが小曲の中に、青春の希望元気と共に銷磨し尽した時この憂悶を慰撫するもの音楽と美姫との外はない。曾てわかき日に一たび聴いたことのある幽婉なる歌曲に重ねて耳を傾ける時ほどうれしいものはない、と云うような意を述・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・しきりに首を左右に傾ける。傾けかけた首をふと持ち直して、心持前へ伸したかと思ったら、白い羽根がまたちらりと動いた。文鳥の足は向うの留り木の真中あたりに具合よく落ちた。ちちと鳴く。そうして遠くから自分の顔を覗き込んだ。 自分は顔を洗いに風・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・現にこの私は上部だけは温順らしく見えながら、けっして講義などに耳を傾ける性質ではありませんでした。始終怠けてのらくらしていました。その記憶をもって、真面目な今の生徒を見ると、どうしても大森君のように、彼らを攻撃する勇気が出て来ないのです。そ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ そこにこそ、このひとつらなりの長篇に力を傾ける作者の歓喜と信頼がかくされている。「二つの庭」は、人間の善意が、次第に個人環境のはにかみと孤立と自己撞着から解きはなされて現代史のプログラムに近づいてゆく、その発端の物語としてあらわれる。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・それからあと、雨が降る日には、道のそっち側へいつも傘を傾けるようにして足早に通った。犬はずっと、雨が降りさえすると、やっぱりそこで小舎の屋根の上へ登って、黒子だらけの女のような顔をこっちへ向けては啼いているのであった。 ・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・何故なら、それらの若い娘さんたちは、働く健気な婦人たちだのに、まだその働きの性質が自分の肉体に強いている無理を知らず、自分の生活の生理の要求に耳を傾けるだけの生活上の能力をもっていないという事実がそこに現れているのであるから。 イギリス・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ しっとりと、草の葉のさざめきに耳を傾ける人もございます。 私は、彼女等が圏境から与えられた騒躁な、騒躁でなければ居られない神経と云うものに、人間はもっと深い同情と思慮とを費やすべきだと存じます。 何故なら、此は、只彼女がそうな・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫