・・・の初版が、僅かにただ三部しか売れなかつたといふ歴史は、この書物の出版当時に於て、これを理解し得る人が、全独逸に三人しか居なかつたことを証左して居る。彼の著書の中で、比較的初学者に理解し易いと言はれ、したがつて又ニイチェ哲学の入門書と言はれる・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・え、オイ、そして肺病がもう迚も悪いんだぜ。僅か二分やそこらの金でそういつまで楽しむって訳にゃ行かねえぜ」 いつの間にか蛞蝓の仲間は、私の側へ来て蔭のように立っていて、こう私の耳へ囁いた。「貴様たちが丸裸にしたんだろう。此の犬野郎!」・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ いやしくも潔清無垢の位に居り、この腐敗したる醜世界を臨み見て、自ら自身を区別するの心を生ぜざるものあらんや。僅かに資産の厚薄、才学の深浅を以てなおかつ他と伍をなすを屑しとせず。いわんや人倫の大本、百徳の源たる男女の関係につき、潔不潔を・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・それも僅かの間で、語学部もなくなって、その生徒は全然商業学校の生徒にされて了う。と、私はぷいと飛出して了った。その時、親達は大学に入れと頻りに勧めたが、官立の商業学校に止まらなかったと同様に、官立の大学にも入らなかった。で、終には、親の世話・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・お前は僅か一秒の中に生涯を籠めて見せてくれた。そのお前の不思議な威力に己の身を任せてしまって、今までの影のような生涯を忘れてしまおう。思えばこう感じるのも死にかかっての一時の事かも知れぬが、兎に角今までにこれ程感じた事はないから、己のために・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・かず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草の生い出でぬ処もなく僅かに行列のおもかげを薄の穂にとどめたり・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・その旅人と云っても、馬を扱う人の外は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅かなものでした。 今年も、もう空に、透き徹った秋の粉が一面散り渡るようになりました。 雲がちぎれ、風が吹き、夏の休みももう明日だけです。 達・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
・・・日本の女学校教育は特別なものであったから、共学がはじまってまだほんの僅かしかたたない今日、女子学生が男の学生に比較してあとにいるという事情にも無理もないところがあります。日本の民主化されていない家庭では、女の負担が実に多い。それでもまじめな・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ その花房の記憶に僅かに残っている事を二つ三つ書く。一体医者の為めには、軽い病人も重い病人も、贅沢薬を飲む人も、病気が死活問題になっている人も、均しくこれ casus である。Casus として取り扱って、感動せずに、冷眼に視ている処に・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ、荒された茫々たる沙漠のような色の中で、僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕を築いて・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫