・・・乳房に五寸釘を打たれるように、この御縁女はお驚きになったろうと存じます。優雅、温柔でおいでなさる、心弱い女性は、さような狼藉にも、人中の身を恥じて、端なく声をお立てにならないのだと存じました。 しかし、ただいま、席をお立ちになった御容子・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・堂々と、ためらわず、いわゆる高級品を選び出し、しかも、それは不思議なくらい優雅で、趣味のよい品物ばかりである。「いい加減に、やめてくれねえかなあ。」「ケチねえ。」「これから、また何か、食うんだろう?」「そうね、きょうは、我慢・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ とにかく私にとって、そのような優雅な礼儀正しい酒客の来訪は、はじめてであった。「なあんだ、そんなら一緒に今夜、全部飲んでしまいましょう。」 私はその夜、実にたのしかった。丸山君は、いま日本で自分の信頼しているひとは、あなただけ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・けなくなり、反駁したいにも、どうにも、その罵言は何の手加減も容赦も無く、私が小学校を卒業したばかりで何の学識も無いこと、詩はいよいよ下手くそを極めて読むに堪えないこと、東北の寒村などに生れた者には高貴優雅な詩など書けるわけは絶対に無いこと、・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ 優雅? それにも、自信がないだろう。いじらしいくらいに、それに憧れていながら、君たちに出来るのは、赤瓦の屋根の文化生活くらいのものだろう。 語学には、もちろん自信無し。 しかし、君たちは何やら「啓蒙家」みたいな口調で、すまして・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ 絶望は、優雅を生む。そこには、どうやら美貌のサタンが一匹住んでいる。けれども、その辺のことは、ここで軽々しく言い切れることがらでない。 こんな、とりとめないことを、だらだら書くつもりでは、なかったのである。このごろまた、小説を書き・・・ 太宰治 「女人創造」
・・・フェルト草履は、見た眼にも優雅で、それに劇場や図書館、その他のビルディングにはいる時でも、下駄の時のように下足係の厄介にならずにすむから、私も実は一度はいてみた事があるのであるが、どうも、足の裏が草履の表の茣蓙の上で、つるつる滑っていけない・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・私は先生のお手紙を拝誦して、すぐさま外出し、近所の或る優雅な友人の宅を訪れた。「君のとこに、何かお茶の事を書いた本が無いかね。」私は時々この上品な友人から、その蔵書を貸してもらっているのである。「こんどはお茶の本か。多分、あるだろう・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ どういう訳だか分らないが、あの右の手の何とも名状の出来ない活きた優雅な曲線と鮮やかに紅い一輪の花が絵の全体に一種の宗教的な気分を与えている。少し短くつまった顔の特殊なポオズも、少しも殊更らしくなくてただ気高いような好い心持がするばかり・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・この荒涼な墓場の背景には、美しい円錐火山が、優雅な曲線を空に画してそびえていた。空に切れ切れな綿雲の影が扇のように遠く広がったすそ野に青い影を動かしていた。過去のいろいろの年代にあふれ出した熔岩の流れの跡がそれぞれ違った色彩によって見分ける・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫