・・・あくるとしの元旦には、もっとめでたいことが起った。千羽の鶴が東の空から飛来し、村のひとたちが、あれよ、あれよと口々に騒ぎたてているまに、千羽の鶴は元旦の青空の中をゆったりと泳ぎまわりやがて西のかたに飛び去った。そのとしの秋にもまた稲の穂に穂・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 暴風の跡の銀座もきたないが、正月元旦の銀座もまた実に驚くべききたない見物である。昭和六年の元旦のちょうど昼ごろに、麻布の親類から浅草の親類へ回る道順で銀座を通って見たときの事である。荒涼、陰惨、ディスマル、トロストロース、あらゆる有り・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 一 腹の立つ元旦 正月元旦というときっときげんが悪くなって苦い顔をして家族一同にも暗い思いをさせる老人があった。それは温厚篤実をもって聞こえた人で世間ではだれ一人非難するもののないほどまじめな親切な老人であって・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
数年前までは正月元旦か二日に、近い親類だけは年賀に廻ることにしていた。そうして出たついでに近所合壁の家だけは玄関まで侵入して名刺受けにこっそり名刺を入れておいてから一遍奥の方を向いて御辞儀をすることにしていたのであるが、い・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・一九一〇年の元旦にこの火山に登って湾を見おろした時には、やはりこの絵が眼前の実景の上に投射され、また同時に鴎外の「即興詩人」の場面がまざまざと映写されたのであった。 静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒のはいったコップ、半分皮・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・ 明くれば元旦である。ヴェスヴィオ行きの準備をして玄関へ出ると、昨日のポルチエーが側へ来て人の顔を見つめて顔をゆがめてそうして肩をすぼめて両手の掌をくるりと前に向けてお定まりの身振りをした。 ヴェスヴィオの麓までの馬車には年取った英・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ところが勿論日本みたいに除夜の鐘が鳴るわけじゃなし、門松立てるわけじゃなし、元旦に下宿の神さんが「おめでとう」と一言云ったぎりで普通のパンと茶を食ったよ。ヨーロッパ諸国じゃ、日本でもブルジョアが自分達の子供に玩具を買ってやるついでに貧児へ所・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・彼女の解って呉れる迄、自分は自分の生活を、すっかり独りで営もう、と云う自足の感情は、やがて、此、淋しく離れ離れになった有様で、新らしい元旦を迎えなければならないか、と云う、淋しい孤独感となって来た。 大晦日や元旦の朝を、自分は子供の時か・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫