・・・ 半分、眠りながら、私は自動車に乗せられ、幸吉兄妹も、私の右と左に乗ったようだ。途中、ぎゃあぎゃあ怪しい鳥の鳴き声を聞いて、「あれは、なんだ。」「鷺です。」 そんな会話をしたのを、ぼんやり覚えている。山峡のまちに居るのだな、・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・私たちは、仲の良い兄妹のように、旅に出た。水上温泉。その夜、二人は山で自殺を行った。Hを死なせては、ならぬと思った。私は、その事に努力した。Hは、生きた。私も見事に失敗した。薬品を用いたのである。 私たちは、とうとう別れた。Hを此の上ひ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ここは、奥田義雄、同菊代の兄妹が借りている。部屋の前方は砂地の庭。草も花もなし。きたなげの所謂「春の枯葉」のみ、そちこちに散らばっている。舞台とまる。弥一の義母しづ、庭の物干竿より、たくさんの洗濯物を取り込みのさいちゅう・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ ――兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。 長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、こ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・主婦さんとむすこは始終いろいろ話しておりましたが、兄妹の間にはいっこうなんの話もありませんでした。それでもネクタイはやっとできあがったそうでした。 ゆうべはジルヴェスターアーベンドというので、またバウムに蝋燭をともしました。そして食後に・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・今その最も甚しきものを挙ぐれば、配偶者の趣味性行よりもむしろ配偶者の父母兄妹との交際についてである。姻戚の家に冠婚葬祭の事ある場合、これに参与するくらいの事は浮世の義理と心得て、わたくしもその煩累を忍ぶであろうが、然らざる場合の交際は大抵厭・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・なぜならペムペルとネリの兄妹の二人はたった二人だけずいぶん愉快にくらしてたから。 けれどほんとうにかあいそうだ。 ペムペルという子は全くいい子だったのにかあいそうなことをした。 ネリという子は全くかあいらしい女の子だったのにかあ・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・ 日本の今日の実際にふれて周囲を見わたすと、大部分の人々の青春は、両性の友情などというものからは、思うよりも遙かに遠くおかれて過されているのだと思う。兄妹がいて、それぞれ学校生活をしていたり勤めたりしている人たちでも、なかなか互の友人た・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・型からぬきとられてその中に置かれているさまざまの石膏の像は、いつもシュミットの小さな兄妹の好奇心と空想とを刺戟した。 お母さんのケーテがまた絵心をもっていた。子供たちによく古今の大家の絵を模写してやった。そのような環境の間で十四歳になっ・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・女というものは、概して自分を発育させ、宏い確かな地盤の上で生きようとする本能的な熱意が男より少いのではないか、家が幸福で兄妹でもあって育てば、友達を求める切な望みは起るまいし、大きくなって結婚でもすれば、良人に承認されるだけの自分で大抵安心・・・ 宮本百合子 「大切な芽」
出典:青空文庫