・・・「その時蜑崎照文は懐ろより用意の沙金を五包みとり出しつ。先ず三包みを扇にのせたるそがままに、……三犬士、この金は三十両をひと包みとせり。もっとも些少の東西なれども、こたびの路用を資くるのみ。わが私の餞別ならず、里見殿の賜ものなるに、辞わで納・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・帳場さんのう知らしてくさずば、いつまでも知んようもねえだった。先ずもって小屋さ行ぐべし」 三人は小屋に這入った。入口の右手に寝藁を敷いた馬の居所と、皮板を二、三枚ならべた穀物置場があった。左の方には入口の掘立柱から奥の掘立柱にかけて一本・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・』『莫迦な事を言え。先ず青空を十里四方位の大さに截って、それを圧搾して石にするんだ。石よりも堅くて青くて透徹るよ』『それが何だい?』『それを積み重ねて、高い、高い、無際限に高い壁を築き上げたもんだ、然も二列にだ、壁と壁との間が唯・・・ 石川啄木 「火星の芝居」
・・・この大切な品がどんな手落で、遺失粗相などがあるまいものでもないという迷信を生じた。先ず先生から受取った原稿は、これを大事と肌につけて例のポストにやって行く。我が手は原稿と共にポストの投入口に奥深く挿入せられてしばらくは原稿を離れ得ない。やが・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・打たれるくらいなら先ずこッちゃから打って、敵砲手の独りなと、ふたりなと射殺してやりましょ』『なにイ――距離を測量したか?』『二百五十メートル以内――只今計りました。』『じゃア、やれ! 沈着に発砲せい!』『よろしい!』て、二人・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・椿岳の伝統を破った飄逸な画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽に漾う一種異様な蕭散の気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居で、故人を偲ぶ旧観の片影をだも認められない。 寒月の名は西鶴の発見者・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・お母さんは、その心掛けで、子供を教育しなければなりません。先ず、学問よりは体の健康が第一です。ある学科が不出来だからといって、必ずしもやかましく子供を叱るに当らない。子供は、自分の好きな学科を修得し、それによって伸びる決意を有しています。し・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・温泉にはいれば、あるいは病気も癒るかも知れないと、その願いをかなえてやりたいにも先ず旅費の工面からしてかからねばならぬ東京での暮しだったのだ……。 熱海で二日、そして東京へ出たが、一通り見物もしてしまうと、もうなにもすることはなく、いつ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・練習が少し積んで来ると、それはいろ/\な利益があるがね、先ず僕達の職掌から云うと、非常に看破力が出て来る。……此奴は口では斯んなことを云ってるが腹の中は斯うだな、ということが、この精神統一の状態で観ると、直ぐ看破出来るんだからね、そりゃ恐ろ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「ひどう苦しみましたか……たいした苦しみがなければ、先ず結構な方です」といった具合で、私がもうこれでお仕舞いですかと訊ねますと、まだ一日位は保つだろうと言うのでした。然し、医師を見送って行った者に向っては「あと二時間」とハッキリ宣告したとの・・・ 梶井久 「臨終まで」
出典:青空文庫