・・・ 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。と云う意味は創世記を信じていたと云うことである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と云う意味はダアウインの著書を信じていると云うことである。つまり書物を信ずることは今人も古人も・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・己れもやっぱりお前と同じ先祖はアダムだよ」とか何とか云って見ろ。己れだって粗忽な真似はし無えで、兄弟とか相棒とか云って、皮のひんむける位えにゃ手でも握って、祝福の一つ二つはやってやる所だったんだ。誓言そうして見せるんだった。それをお前帽子に・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・それは私の家では結婚する時にきっと先祖から伝えてきた名玉を結婚の指輪に入れなければできない事になっています、ところがだれかがそれをぬすんでしまいましたからどうしても結婚の式をあげることはできません」 おとめはもとよりこの武士がわかいけれ・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・御先祖の霊前に近く、覚悟はよいか、嬉しゅうござんす、お妻の胸元を刺貫き――洋刀か――はてな、そこまでは聞いておかない――返す刀で、峨々たる巌石を背に、十文字の立ち腹を掻切って、大蘇芳年の筆の冴を見よ、描く処の錦絵のごとく、黒髪山の山裾に血を・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・……先祖代々の墓詣は昨日済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日だし、好なものは晩に食べさせる、と従姉が言った。差当り何の用もない。何年にも幾日にも、こんな暢気な事は覚えぬ。おんぶするならしてくれ、で、些と他愛がな・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 僕の母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を、大へんに自慢されていた。その頃母は血の道で久しく煩って居られ、黒塗的な奥の一間がいつも母の病褥となって居た。その次の十畳の間の南隅に、二畳の小座敷がある。僕が居ない・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・これをお前にやる分にゃ先祖の財産へ手を付けんのだから、おれの勝手だ。お前もそんつもりでな、東京で何か仕事を覚えろ……おとよさんのおとッつさんが、むずかしい事をいうのも、つまりわが子可愛さからの事に違いあんめいから、そりゃそのうちどうにかなる・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・例えば先祖から持ち伝えた山を拓いて新らしい果樹園を造ろうとしたようなもので、その策は必ずしも無謀浅慮ではなかったが、ただ短兵急に功を急いで一時に根こそぎ老木を伐採したために不測の洪水を汎濫し、八方からの非難攻撃に包囲されて竟にアタラ九仭の功・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・「いったい、そんなことができるだろうか。」といいました。「なんでできないことがあるものか、おまえさんたちは臆病なんだ。」と、からすはいいました。「先祖代々から、まだそんな乱暴なことをしたものを聞かない。」と、牛は答えました。・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・祝言の席の仕草も想い合わされて、登勢はふと眼を掩いたかったが、しかしまた、そんな狂気じみた神経もあるいは先祖からうけついだ船宿をしみ一つつけずにいつまでも綺麗に守って行きたいという、後生大事の小心から知らず知らず来た業かもしれないと思えば、・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫