・・・伝染病患者を内証にしておけば患者がふえる。あれと似たようなものであろう。 こうは言うもののまたよくよく考えて見ていると災難の原因を徹底的に調べてその真相を明らかにして、それを一般に知らせさえすれば、それでその災難はこの世に跡を絶つという・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・箱根の山の中と十国峠を越えた太平洋岸の熱海とで、このくらい文化の程度と性質が違うものかと云って内証でみんなと笑ったことであった。 帰りの汽車では忘れずに農園のチューリップと、チューリップの農園の概観を網膜に写すことによって往路の小発見の・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・よほど貴重なものと見えて、内証で見せてやるという条件つきであったような気がする。残念ながら詳しいことは覚えていないが、とにかくその巻物の中にはありとあらゆる鯨の種類それから親類筋のいるか、すなめりの類の精細な写生図が羅列してあったのでわれわ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・是れは自分の意なれども父上には語る可らず、何々は自分一人の独断なり母上には内証などの談は、毎度世間に聞く所なれども、斯くては事柄の善悪に拘わらず、既に骨肉の間に計略を運らすことにして、子女養育の道に非ざるなり。一 女子既に成長して家庭又・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ わたくしはあなたの記念を心の隅の方に、内証で大切にしまって置いて、昔のようになんの幸福もなしに暮らしていました。それからわたくしは二度目に結婚いたしました。これまで申上げると、わたくしはこの手紙を上げる理由を御話申さなくてはなりません・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 戦争挑発に反対し、ファシズムに抗議する日本女性のこんなに自然な願いを、わたしたちはなぜいつまでも内証ごとのように扱っているのだろう。ほんとうに不可解なことだと思う。わたしたちの正当な主張にあたって何かおそれなければならないことでもある・・・ 宮本百合子 「わたしたちは平和を手離さない」
・・・奥さんは内証で青山博士が来た時尋ねてみた。青山博士は意外な事を問われたと云うような顔をしてこう云った。「秀麿さんですか。診察しなくちゃ、なんとも云われませんね。ふん。そうですか。病気はないから、医者には見せないと云うのでしたっけ。そうか・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・すると女房が内証で里から金を持って来て帳尻を合わせる。それは夫が借財というものを毛虫のようにきらうからである。そういう事は所詮夫に知れずにはいない。庄兵衛は五節句だと言っては、里方から物をもらい、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・豪遊の名を一時に擅にしてから、もうだいぶ久しくなるのだから、内証は或はそうなっているかも知れない。それでいて、こんな催しをするのは、彼が忽ち富豪の主人になって、人を凌ぎ世に傲った前生活の惰力ではあるまいか。その惰力に任せて、彼は依然こんな事・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ですけれど内証のお話でございますよ。男。それは内証のお話と内証でないお話ぐらいはわたくしにだって。貴夫人。いいえ。そのお話申す事柄が内証だと申すのでございませんわ。事柄だけならいくらお話なすっても宜しゅうございますの。ただそれがいつ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
出典:青空文庫