・・・ 雑貨店の内儀に緒を見せて貰いながら、母は、「藤よ、そんなに店の物をいらいまわるな。手垢で汚れるがな。」と云った。「いゝえ、いろうたって大事ござんせんぞな。」と内儀は愛相を云った。 緒は幾十条も揃えて同じ長さに切ってあった。・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・丸文字屋の内儀は邪推深い、剛慾な女だ。番頭や小僧から買うよりも、内儀から買う方が高い、これは、村中に知れ渡っていることである。その内儀が火鉢の傍に坐りこんでじろ/\番頭や小僧の方を見ている。金をごま化しやしないか見ているのだ。 番頭のと・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・「ホホホホホ、大きな声をお出しでない、隣家の児が起きると内儀の内職の邪魔になるわネ。そんならいいよ買って来るから。と女房は台所へ出て、まだ新しい味噌漉を手にし、外へ出でんとす。「オイオイ此品でも持って行かねえでどうするつもりだ。・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・燵トント逆上まするとからかわれてそのころは嬉しくたまたまかけちがえば互いの名を右や左や灰へ曲書き一里を千里と帰ったあくる夜千里を一里とまた出て来て顔合わせればそれで気が済む雛さま事罪のない遊びと歌川の内儀からが評判したりしがある夜会話の欠乏・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ちょうど歳暮のことで、内儀「旦那え/\」七「えゝ」内儀「貴方には困りますね」七「何ぞというとお前は困るとお云いだが何が困ります」内儀「何が困るたって、あなた此様に貧乏になりきりまして、実に世間体も恥かしい事で、斯様な裏長・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・という顔付で、店頭の土間に居る稼ぎ人らしい内儀さんの側へ行った。「お内儀さん、今日は何か有りますかネ」 と尋ねて、一寸そこへ来て立った高瀬と一諸に汽車を待つ客の側に腰掛けた。 極く服装に関わない学士も、その日はめずらしく瀟洒なネ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・その休茶屋には、以前お三輪のところに七年も奉公したことのあるお力が内儀さんとしていて、漸くのことでそこまで辿り着いた旧主人を迎えてくれた。こんな非常時の縁が、新七とお力夫妻とを結びつけ、震災後はその休茶屋に新しい食堂を設け、所謂割烹店でなし・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・うなだれている番頭は、顔を挙げ、お内儀のほうに少しく膝をすすめて、声ひそめ、「申し上げてもよろしゅうございますか。」 と言う。何やら意を決したもののようである。「ああ、いいとも。何でも言っておくれ。どうせ私は、あれの事には、呆れ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・近所のお内儀さんなどが通りがかりに児をあやすと、嬉しそうな色が父親の柔和な顔に漲る。女房は店で団扇をつかいながら楽しげにこの様を見ている。涼しい風は店の灯を吹き、軒に吊した籠や箒やランプの笠を吹き、見て過ぐる自分の胸にも吹き入る。 自分・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・あっぱっぱのはだけた胸に弁当箱をおしつけて肩をゆすりながらくる内儀さん。つれにおくれまいとして背なかにむすんだ兵児帯のはしをふりながらかけ足で歩く、板裏草履の小娘。「ぱっぱ女学生」と土地でいわれている彼女たちは、小刻みに前のめりにおそろしく・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫