・・・ただ、君を見送ってから彼が沼津へ写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。 そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だいぶん遠くなっている。この時、かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・それから休日には植物園などへ、水彩画の写生に出かけしものなり。僕もその御伴を仰せつかり、彼の写生する傍らに半日本を読みし事も少からず。恒藤の描きし水彩画中、最も僕の記憶にあるものは冬枯れの躑躅を写せるものなり。但し記憶にある所以は不幸にも画・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・ 光治は心のうちで懐かしい少年だと思いながら、静かに少年の背後に立って、少年の描いている絵に目を落としますと、それは前方の木立を写生しているのでありましたが、びっくりするほど、いきいきと描けていて、その木の色といい、土の色といい、空の感・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・「これを上手に写生してごらんなさい。」 政ちゃんは、学校で、先生が、こんどなんでも持ってきて、図画の時間に写生してもいいと、おっしゃったことを思い出しました。「僕、これを学校へ持っていって写生してもいいの。」「みごとに描けた・・・ 小川未明 「政ちゃんと赤いりんご」
・・・小説の勉強はまずデッサンからだと言われているが、デッサンとは自然や町の風景や人間の姿態や、動物や昆虫や静物を写生することだと思っているらしく、人間の会話を写生する勉強をする人はすくない。戯曲を勉強した人が案外小説がうまいのは、彼等の書く会話・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・馬の顔を斜に見た処で、無論少年の手には余る画題であるのを、自分はこの一挙に由て是非志村に打勝うという意気込だから一生懸命、学校から宅に帰ると一室に籠って書く、手本を本にして生意気にも実物の写生を試み、幸い自分の宅から一丁ばかり離れた桑園の中・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・』 ここまで話して来て江藤は急に口をつぐんで、対手の顔をじっと見ていたが、思い出したように、『そうだッけ、あの老爺さんを写生するとよかッた、』と言って膝を拍った。この近在の百姓が御料地の森へ入って、枯れ枝を集めるのは、それは多分禁制・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・』『どうです散歩にお出になりませんか、今日は写生しようと思って道具を持って来ました。』『なるほど、将几ができたね。』『やっと買いました、大枚一円二十五銭を投じたのですがね、未だ一度しか使って見ません。』と畳んで棒のごとくする・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 自然主義運動に対立して平行線的に進行をつゞけた写生派、余裕派、低徊派等の諸文学については、森鴎外が、軍医総監であったことゝ、後に芥川龍之介が「将軍」を書いている以外、軍事的なものは見あたらない。たゞ、それらの文学と深い関係のある、或る・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・無論小さく、写生風に、鋳膚で十二分に味を見せて、そして、思いきり伸ばした頸を、伸ばしきった姿の見ゆるように随分細く」と話すのを、こっちも芸術家だ、眼をふさいで瞑想しながら聴いていると、ありありとその姿が前に在るように見えた。そしてまだ話・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
出典:青空文庫