・・・少しも冴えたところの無い、おどおどした眼付きだった。 かつて、船場新聞で相手構わず攻撃の陣を張っていた頃、どこかの用心棒が撲り込みに来たことがあったが、その時お前は部屋の隅にじっと腕組みして、いくらか蒼ざめながら彼等をにらんでいた――あ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・鶴さんはもと料理人で東京の一流料理店で相当庖丁の冴えを見せていたのだが、高級料理店の閉鎖以来、細君のオトラ婆さんの故郷のこの町へ来て、細君は灸を据えるのを商売にしているが、鶴さんには夫婦喧嘩以外にすることはない。 こうして、鶴さんとオト・・・ 織田作之助 「電報」
・・・ 買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星の冴えた小路へ急ぎ足で入った。 梶井基次郎 「雪後」
・・・それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさに冴える。元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞と言うのではない。しかし直射光線には偏頗があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破っ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・と岡本はその冴え冴えした眼光を座上に放った。「その説を承たまわろう、是非願いたい!」と近藤はその四角な腮を突き出した。「君は何方なんです、牛と薯、エ、薯でしょう?」と上村は知った顔に岡本の説を誘うた。「僕も矢張、牛肉党に非ず、馬・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・「源が歌う声冴えまさりつ。かくて若き夫婦の幸しき月日は夢よりも淡く過ぎたり。独子の幸助七歳の時、妻ゆりは二度目の産重くしてついにみまかりぬ。城下の者にて幸助を引取り、ゆくゆくは商人に仕立てやらんといいいでしがありしも、可愛き妻には死別れ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・星が切れるように冴えかえっていた。「おい、こらッ!」 さきから、雪を投げていた男が、うしろの白樺のかげから靴をならしてとび出て来た。武石だった。 松木は、ぎょっとした。そして、新聞紙に包んだものを雪の上へ落しそうだった。 彼・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 夜がふけるに従って、頭の上では、星が切れるように冴えかえった。酒場のある向うの丘からこちらの丘へ燈火をつけない橇が凍った雪に滑桁をきし/\鳴らせ、線路に添うて走せてきた。蹄鉄のひゞきと、滑桁の軋音の間から英語のアクセントかゝったロシア・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・顔色が冴えない、気が何かに粘っている。自分に対して甚しく憎悪でもしているかとちょっと感じたが、自分には何も心当りも無い。で、「どうかなさいましたか。」と訊く。返辞が無い。「気色が悪いのじゃなくて。」とまた訊くと、うるさいと云・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・眼がさめた。ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと聞える。遠い孤島の宿屋に、いま寝ているのだという感じがはっきり来た。眼が冴えてしまって、なかなか眠られなかった。謂わば、「死ぬほど淋しいところ」の酷烈な孤独感をやっと捕えた。おいし・・・ 太宰治 「佐渡」
出典:青空文庫