・・・通る人の耳には、日をうけた土蔵の白壁と白壁との間から、格子戸づくりの薄暗い家と家との間から、あるいは銀茶色の芽をふいた、柳とアカシアとの並樹の間から、磨いたガラス板のように、青く光る大川の水は、その、冷やかな潮のにおいとともに、昔ながら南へ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ただ冷やかな軽蔑と骨にも徹りそうな憎悪とである。神父は惘気にとられたなり、しばらくはただ唖のように瞬きをするばかりだった。「まことの天主、南蛮の如来とはそう云うものでございますか?」 女はいままでのつつましさにも似ず、止めを刺すよう・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・一間は這入って来た人に冷やかな、不愉快な印象を与える。鼠色に塗った壁に沿うて、黒い椅子が一列に据えてある。フレンチの目を射たのは、何よりもこの黒い椅子であった。 さて一列の三つ目の椅子に腰を卸して、フレンチは一間の内を見廻した。その時ま・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・…… そこに、青き苔の滑かなる、石囲の掘抜を噴出づる水は、音に聞えて、氷のごとく冷やかに潔い。人の知った名水で、並木の清水と言うのであるが、これは路傍に自から湧いて流るるのでなく、人が囲った持主があって、清水茶屋と言う茶店が一軒、田畝の・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・玉なめらかに、きめ細かに、白妙なる、乳首の深秘は、幽に雪間の菫を装い、牡丹冷やかにくずれたのは、その腹帯の結びめを、伏目に一目、きりきりと解きかけつつ、「畜生……」 と云った、女の声とともに、谺が冴えて、銃が響いた。 小県は草に・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 省作がそりゃあんまりだ、藤吉の野郎や五郎助といっしょにするのはひどい、というのを耳にもとめずに台所の方へいってしまった。 冷ややかな空気に触れ、つめたい井戸水に顔を洗って、省作もようやく生気づいた。いくらかからだがしっかりしてきは・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・里も若葉も総てがぼんやり色をぼかし、冷ややかな湖面は寂寞として夜を待つさまである。「おとよさん面白かったねい、こんなふうな心持ちで遊んだのは、ほんとに久しぶりだ」「ほんとに省さんわたしもそうだわ、今夜はなんだか、世間が広くなったよう・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ドチラかというと寡言の方で、眼と唇辺に冷やかな微笑を寄せつつ黙して人の饒舌を聞き、時々低い沈着いた透徹るような声でプツリと止めを刺すような警句を吐いてはニヤリと笑った。 緑雨の随筆、例えば『おぼえ帳』というようなものを見ると、警句の連発・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・たり笛一枝 天網疎と雖ども漏得難し 閻王廟裡擒に就く時 犬坂毛野造次何ぞ曾て復讎を忘れん 門に倚て媚を献ず是権謀 風雲帳裡無双の士 歌舞城中第一流 警柝声はむ寒かんちようの月 残燈影は冷やかなり峭楼の秋 十年剣を磨す徒爾に非・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・奇怪な事件が重なり合っているような場合であっても見ている時は成程、其れによって、いろ/\なことを想像したりまた感興を惹かれたりしても、一たび外に出て冷やかな空気に触れゝば、つい、今しがた見たことが夢のように、もっと其れよりは淡い印象しか頭に・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
出典:青空文庫