・・・ 私は正直な煙客翁が、有体な返事をしはしないかと、内心冷や冷やしていました。しかし王氏を失望させるのは、さすがに翁も気の毒だったのでしょう。翁は秋山を見終ると、叮嚀に王氏へ答えました。「これがお手にはいったのは、あなたのご運が好いの・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・そうでなくても、子供が障子を破り、カーテンを引きちぎり、壁に落書などして、私はいつも冷や冷やしているのだ。ここは何としても、この親友の御機嫌を損じないように努めなければならぬ。あの三氏の伝説は、あれは修身教科書などで、「忍耐」だの、「大勇と・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・かえって私のほうが、腫物にでも触るような、冷や冷やした気持で聞いてみた。「そうです。そうです。」すこし尖った口調で答えて、二度も三度も首肯した。「家が建つのだそうですね。いつごろ建つの?」「もう、間も無く建ちますよ。立派な、お屋・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・心細く感じながらも、ひとりでそっと床から脱け出しまして、てらてら黒光りのする欅普請の長い廊下をこわごわお厠のほうへ、足の裏だけは、いやに冷や冷やして居りましたけれど、なにさま眠くって、まるで深い霧のなかをゆらりゆらり泳いでいるような気持ち、・・・ 太宰治 「葉」
・・・早朝、練兵場の草原を踏みわけて行くと、草の香も新鮮で、朝露が足をぬらして冷や冷やして、心が豁然とひらけ、ひとりで笑い出したくなるくらいである、という家内の話であった。私は暑熱をいい申しわけにして、仕事を怠けていて、退屈していた時であったから・・・ 太宰治 「美少女」
・・・足の裏の冷や冷やする心持は、なまゆるい湯婆へ冷たい足の裏をおっつけて寒がっていた時とは大違いだ。殊に麻裏草履をまず車へ持ていてもらって、あとから車夫におぶさって乗るなんどは昔の夢になったヨ。愉快だ。たまらない。」(急いで出ようとして敷居に蹶・・・ 正岡子規 「初夢」
秋風が冷や冷やと身にしみる。 手の先の変につめたいのを気にしながら書斎に座り込んで何にも手につかない様な、それで居て何かしなければ気のすまない様な気持で居る。 七月からこっち、体の工合が良くない続きなので、余計寒が・・・ 宮本百合子 「秋風」
出典:青空文庫