・・・不快な冷水を浴びた彼は改めて不快な微温湯を見舞われたのだ。それでも彼は能うかぎり小作人たちに対して心置きなく接していたいと願った。それは単にその場合のやり切れない気持ちから自分がのがれ出たかったからだ。小作人たちと自分とが、本当に人間らしい・・・ 有島武郎 「親子」
・・・後の烏一ツ、同じく近寄りて、画工の項を抱いて仰向 酔ぱらいさん、さあ、冷水。画工 (飲みながら、現ああ、日が出た、が、俺は暗夜だ。初の烏 日が出たって――赤い酒から、私のこの烏を透かして、まあ。――画に描いた太陽の夢を見たんだろ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・「冷水を下さい。」 もう、それが末期だと思って、水を飲んだ時だったのです。 脚気を煩って、衝心をしかけていたのです。そのために東京から故郷に帰る途中だったのでありますが、汚れくさった白絣を一枚きて、頭陀袋のような革鞄一つ掛けたの・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・くれの手を忘れ、こそこそと小河で手をみそいでばかりいて皮膚の弱くなる潔癖は、立小便すべからずの立札にも似て、百七十一も変名を持ったスタンダールなどが現れたら、気絶してしまうほどの弱い心臓を持ちながら、冷水摩擦で赤くした貧血の皮膚を健康の色だ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・驚きましたねエ、僕は頭から冷水をかけられたように感じて、其所に突立って了いました。「それでも勇気を鼓して近づいてみると女でした、無論その顔は見えないが、路にぬぎ捨てある下駄を見ると年若の女ということが分る……僕は一切夢中で紅葉館の方から・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 音が近づくにつけて大きくなる、下草や小藪を踏み分ける音がもうすぐ後ろで聞こえる、僕の身体は冷水を浴びたようになって、すくんで来る、それで腋の下からは汗がだらだら流れる、何のことはない一種の拷問サ。 僕はただ夢中になって画いていたが・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・前の手紙を見ると、お前はそこで毎朝六時に「冷水摩擦」をやっていると書いていたが、こっちでそんな時間に、そんなことをしたら、そのまゝ冷蔵庫に入った鮭のようにコチコチになってしまうよ。 家へ来たのは朝の五時。やっぱり妹が一番先きに眼をさまし・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・私は、総身に冷水を浴びせられたように、ぞっとしました。「ごめん下さい。大谷さん」 こんどは、ちょっと鋭い語調でした。同時に、玄関のあく音がして、「大谷さん! いらっしゃるんでしょう?」 と、はっきり怒っている声で言うのが聞え・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・酒だって、たまにしか飲まないんだ。冷水摩擦だって、毎日やっているんだ。」自分ながら奇妙と思われたような事を口走って、ふっと眼が熱くなり、うろたえた。 第六回「青年よ、若き日のうちに享楽せよ!」と教えし賢者・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・三日堪えて、侘びしかったら、そいつは病気だ。冷水摩擦をはじめよ。必ず腹巻きをしなければいけない。ひとから金を借りるな。飢死するとも借銭はするな。世の中は、人を飢死させないようにできているものだ。安心するがいい。恋は、必ず片恋のままで、かくし・・・ 太宰治 「困惑の弁」
出典:青空文庫