・・・ 飯沼は冷然と受け流してから、もう一度和田をふり返った。「誰だい、その友だちというのは?」「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか? 慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらい・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 慎太郎はやはり冷然と、それ以上何も云わなかった。が、その母譲りの眼の中には、洋一が予期していなかった、とは云え無意識に求めていたある表情が閃いていた。洋一は兄の表情に愉快な当惑を感じながら、口早に切れ切れな言葉を続けた。「今日は一・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・今西はしかし例の通り、冷然と目礼を送ったまま、すぐに戸の向うへ隠れてしまった。 その内に更紗の窓掛けへ、おいおい当って来た薄曇りの西日が、この部屋の中の光線に、どんよりした赤味を加え始めた。と同時に大きな蠅が一匹、どこからここへ紛れこん・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・Kは不相変冷然としていたのみならず、巻煙草を銜えたまま、こんなことを僕に尋ねたりした。「Xは女を知っていたかしら?」「さあ、どうだか……」 Kは僕を疑うようにじっと僕の顔を眺めていた。「まあ、それはどうでも好い。……しかしX・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ お蓮は冷然と鏡台の前に、鹿の子の帯上げを結んでいた。「どこへ?」「弥勒寺橋まで行けば好いんです。」「弥勒寺橋?」 牧野はそろそろ訝るよりも、不安になって来たらしかった。それがお蓮には何とも云えない、愉快な心もちを唆るの・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・気の利いたような、そして同時に勇往果敢な、不屈不撓なような顔附をして、冷然と美しい娘や職工共を見ている。へん。お前達の前にすわっている己様を誰だと思う。この間町じゅうで大評判をした、あの禽獣のような悪行を働いた罪人が、きょう法律の宣告に依っ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ かかる群集の動揺む下に、冷然たる線路は、日脚に薄暗く沈んで、いまに鯊が釣れるから待て、と大都市の泥海に、入江のごとく彎曲しつつ、伸々と静まり返って、その癖底光のする歯の土手を見せて、冷笑う。 赤帽の言葉を善意に解するにつけても、い・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 巡査は冷然として、「規則に夜昼はない。寝ちゃあいかん、軒下で」 おりからひとしきり荒ぶ風は冷を極めて、手足も露わなる婦人の膚を裂きて寸断せんとせり。渠はぶるぶると身を震わせ、鞠のごとくに竦みつつ、「たまりません、もし旦那、・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・(半ば呟貴女、失礼をいたしました。(冷然として山道の方へ行夫人 (二三歩あとに縋先生、あの……先生――どちらへ?画家 いや、……先生は弱りました。が、町も村も大変な雑鬧ですから、その山の方へ行ってみます。――貴女は、つい、お見それ申・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 三 小宮山は亭主の前で、女の話を冷然として刎ね附けましたが、密に思う処がないのではありませぬ。一体この男には、篠田と云う同窓の友がありまして、いつでもその口から、足下もし折があって北陸道を漫遊したら、泊から訳は・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
出典:青空文庫