・・・採って来たたくさんの標本をもってその巨きな建物の間を自動車で走るとき、わたくしはまるで凱旋の将軍のような気がしました。ところがホテルへ着いて見ると、この暑いのに窓がすっかり閉めてあるのです。室へ通されてみると仲々むし暑いので、わたくしは給仕・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・レマルクの「凱旋門」は日本でもベスト・セラーズの一つであった。小説をよむほどの若い人々はみんなよんで、一九四七年度の感銘された作品の一つとした。「凱旋門」のどの点に、こんにちの若い日本の精神をとらえた魅力の核があったのだろう。あの小説よかっ・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・目標であり「『罪と罰』『ボァリー夫人』『女の一生』『凱旋門』に通じる道がひらけるにちがいないと確信する」人々である。これらの人々に新聞社は、講和問題に関するアンケートなどもおくっている。『読売新聞』の集めた範囲で作家たちの答えは全面講和の要・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ところが、巴里の凱旋通をナチの軍隊が足並高く行進することとなって、世界は現世紀の一つの驚きの感情を経験した。どうして、フランスは敗れたのだろうか。この問いが、日本でもあらゆる人々の心に湧いたにちがいない。忽ち新聞に、フランスは文化の爛熟と頽・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ 日本の兵士たちは、地理の関係から、一たん故国をはなれてしまうと、骨になってかえるか、凱旋する日まで生きるか、どちらかである。ここにはまたこことして、思いやるべき幾多のことがあるのである。〔一九三七年十二月〕・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・ 巴里の凱旋門の下では、夜も昼も無名戦士の墓辺の焔がもやしつづけられていて、そこには劇的に兵士が立って火を守っていた。 けれども、その犠牲の様式化され、装飾化されさえしたような美の形式にかかわらず、男一人に女五人の割というフランスで・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・レマルクの「凱旋門」の主人公の外科医ぶりは、外科の医者からみると、ところどころ危っかしいそうです。 小さい作品ですが二、三ヵ月前の『近代文学』に「イポリット眼」という報告文学的小説がのっていました。これは、作者自身が眼科医であるらしくて・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
・・・パリの華麗なシャン・ゼ・リゼのつき当りの凱旋門の中に、夜毎兵士に守られて燃えつづけていた戦死者記念常夜燈に、平和は求め叫ばれつづけていた。 二十五年めに、ナチス・ドイツの乱暴な侵略で第二の大戦がはじまったとき、民主国の男女は怒りに燃え、・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
・・・ 郁達夫の物語は、わたしたちにジャンバルジャンを思い出させ、レマルクの「凱旋門」の主人公ラヴィックが人間らしくまた医者らしい咄嗟の行動で往来の負傷者を救ったことからパリを逃れなければならなかった情景を思い起させる。 中里恒子氏の「マ・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・後年、日本の女詩人与謝野晶子の健やかな双脚をして思わずもすくませたりという凱旋門をめぐる恐ろしい自動車の疾駆は未だ見えず、二頭びきの乗合馬車がカツカツと二十世紀初頭の街路を通っている。 書簡註。ランガム・ホテル全景。第・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
出典:青空文庫