・・・道がへし折られたように曲って、その先きは、真闇な窪地に、急な勾配を取って下っていた。彼らはその突角まで行ってまた立停った。遙か下の方からは、うざうざするほど繁り合った濶葉樹林に風の這入る音の外に、シリベシ河のかすかな水の音だけが聞こえていた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と蘆の中に池……というが、やがて十坪ばかりの窪地がある。汐が上げて来た時ばかり、水を湛えて、真水には干て了う。池の周囲はおどろおどろと蘆の葉が大童で、真中所、河童の皿にぴちゃぴちゃと水を溜めて、其処を、干潟に取り残された小魚の泳ぐのが・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ すぐここには見えない、木の鳥居は、海から吹抜けの風を厭ってか、窪地でたちまち氾濫れるらしい水場のせいか、一条やや広い畝を隔てた、町の裏通りを――横に通った、正面と、撞木に打着った真中に立っている。 御柱を低く覗いて、映画か、芝居の・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・坂を下りて、一度ぐっと低くなる窪地で、途中街燈の光が途絶えて、鯨が寝たような黒い道があった。鳥居坂の崖下から、日ヶ窪の辺らしい。一所、板塀の曲角に、白い蝙蝠が拡ったように、比羅が一枚貼ってあった。一樹が立留まって、繁った樫の陰に、表町の淡い・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ と背後から、跫音を立てず静に来て、早や一方は窪地の蘆の、片路の山の根を摺違い、慎ましやかに前へ通る、すり切草履に踵の霜。「ああ、姉さん。」 私はうっかりと声を掛けた。 三「――旦那さん、その虫は構・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・三方崩れかかった窪地の、どこが境というほどの杭一つあるのでなく、折朽ちた古卒都婆は、黍殻同然に薙伏して、薄暗いと白骨に紛れよう。石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草が・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫に渡ると、湿けた窪地で、すぐ上が荵や苔、竜の髯の石垣の崖になる、片隅に山吹があって、こんもりした躑躅が並んで植っていて、垣どなりの灯が、ちらちらと透くほどに二、三輪咲残った……その茂った葉の、蔭・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・その窪地に当るので、浅いが谷底になっている。一方はその鐘楼を高く乗せた丘の崖で、もう秋の末ながら雑樹が茂って、からからと乾いた葉の中から、昼の月も、鐘の星も映りそうだが、別に札を建てるほどの名所でもない。 居まわりの、板屋、藁屋の人たち・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ その、大蒜屋敷の雁股へ掛かります、この街道、棒鼻の辻に、巌穴のような窪地に引っ込んで、石松という猟師が、小児だくさんで籠もっております。四十親仁で、これの小僧の時は、まだ微禄をしません以前の……その婆のとこに下男奉公、女房も女中奉公を・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・下は一面、山懐に深く崩れ込みたる窪地にて、草原。苗樹ばかりの桑の、薄く芽ぐみたるが篠に似て参差たり。一方は雑木山、とりわけ、かしの大樹、高きと低き二幹、葉は黒きまで枝とともに茂りて、黒雲の渦のごとく、かくて花菜の空の明るきに対す。花・・・ 泉鏡花 「山吹」
出典:青空文庫