・・・鰌とりのかんてらが、裏の田圃に毎夜八つ九つ出歩くこの頃、蚕は二眠が起きる、農事は日を追うて忙しくなる。 お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作に逢うて、将来の方向につき相談を遂ぐる事になった。それはもちろんお千代の夫も承・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ そうやってお前が出歩くとこを見ると」「いえね、あの病気は始終そう附き限りでいなけりゃならないというのでもないから……それに、今日佃の方から雇い婆さんを一人よこしてもらって、その婆さんの方が、私よりよっぽど病人の世話にも慣れてるんだから・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 彼がこの土地へ来てから、こうして一緒に出歩くのは今夜がはじめてであった。若い女達と出歩く。そのことも彼の経験では、きわめて稀であった。彼はなんとなしに幸福であった。 少し我が儘なところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・金がなくなっていたので出歩くにも出歩けなかった。そこへ家から送ってくれた為替にどうしたことか不備なところがあって、それを送り返し、自分はなおさら不愉快になって、四日ほど待っていたのだった。その日に着いた為替はその二度目の為替であった。 ・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・母は落ちついて、着物がひとりで出歩くものか、捜してごらん、と言った。節子は、でも、と言いかけて口を噤んだ。廊下に立っている勝治を見たのだ。兄は、ちらと節子に目くばせをした。いやな感じだった。節子は再び箪笥を捜して、「あら、あったわ。」と・・・ 太宰治 「花火」
・・・このうさぎを捕獲すればテント内の晩餐をにぎわすことができるがなかなか容易には捕れないそうである。出歩く道がわかればわなを掛けるといいそうであるがその道がなかなかわからないと言う。それはとにかく、こんなはげ山の頂にうさぎが何を求めて歩いている・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・小春の空が快く晴れて、誰も彼も出歩く頃になっても、秀麿はこのしんとした所に籠って、卓の傍を離れずに本を読んでいる。窓の明りが左手から斜に差し込んで、緑の羅紗の張ってある上を半分明るくしている卓である。 ―――――――――――・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の夢の迹を辿るのであろうと察した。 とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなった。所が、もう年が押し詰まって・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・しかし軽井沢に避暑している人たちがまさかこんな日に出歩くとは思わなかった。まして寺田さんの一行が自分と同じく北軽井沢までも行かれるとは全然思いがけなかった。ところが聞いてみると寺田さんの方でも松根氏との約束を延ばし延ばししている内についこん・・・ 和辻哲郎 「寺田さんに最後に逢った時」
出典:青空文庫