・・・奥州名取郡笠島の道祖は、都の加茂河原の西、一条の北の辺に住ませられる、出雲路の道祖の御娘じゃ。が、この神は父の神が、まだ聟の神も探されぬ内に、若い都の商人と妹背の契を結んだ上、さっさと奥へ落ちて来られた。こうなっては凡夫も同じではないか? ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・――ここで言っては唐突で、ちと飛離れているけれど、松江だね、出雲の。……茶町という旅館間近の市場で見たのは反対だっけ――今の……」 外套の袖を手で掲げて、「十貫、百と糶上げるのに、尾を下にして、頭を上へ上へと上げる。……景気もよし、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・「出雲なる神や結びし淡島屋、伊勢八幡の恵み受けけり」という自祝の狂歌は縁組の径路を証明しておる。媒合わされた娘は先代の笑名と神楽坂路考のおらいとの間に生れた総領のおくみであって、二番目の娘は分家させて質屋を営ませ、その養子婿に淡島屋嘉兵衛と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 南海通の波屋書房の二、三軒先き、千日前通へ出る手前の、もと出雲屋のあったところに、ハナヤという喫茶店が出来ていた。 ハナヤはもと千日前の弥生座の筋向いにあった店だが、焼けてしまったので、この場所へ新らしくバラックを建てたらしかった・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ ところへ細君は小形の出雲焼の燗徳利を持って来た。主人に対って坐って、一つ酌をしながら微笑を浮べて、「さぞお疲労でしたろう。」と云ったその言葉は極めて簡単であったが、打水の涼しげな庭の景色を見て感謝の意を含めたような口調であった・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ませたる浅草市羽子板ねだらせたを胸三寸の道具に数え、戻り路は角の歌川へ軾を着けさせ俊雄が受けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生の松ソレと突きやったる出雲殿の代理心得、間、髪を容れざる働きに・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・まさしく昨日なり、出雲の人にして中山といわるる大人が、まさしく同じ琴を造る事を命じたまいぬ、と。勾当は、ただちにその中山という人の宿を訪れて草々語らい、その琴の構造、わが発明と少しも違うところ無きを知り、かえって喜び、貴下は一日はやく註文し・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・ 出雲風土記には、神様が陸地の一片を綱でもそろもそろと引き寄せる話がある。ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼との距離は恒同でなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。それで、この国曳きの神話でも、単に無稽な・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・砂。出雲の手結とは必ずしも同じではないかもしれぬ。津呂 「ツル」は突き出る。二箇所の津呂いずれも国の突端に近い。以布利 バタク語で「イフル」は前同様突端でこれが津呂に近くあるのは面白い。足褶 「アツイ」海「ツリ」突出。すなわち海・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
出典:青空文庫