・・・ここの親方は函館の金持ちで物の解った人だかんな」 そういって小屋を出て行った。仁右衛門も戸外に出て帳場の元気そうな後姿を見送った。川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけをして置かないと万事に損が行く・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 初めて杖を留めた凾館は、北海の咽喉といわれて、内地の人は函館を見ただけですでに北海道そのものを見てしまったように考えているが、内地に近いだけそれだけほとんど内地的である。新開地の北海道で内地的といえば、説明するまでもなく種々の死法則の・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・郷里から函館へ、函館から札幌へ、札幌から小樽へ、小樽から釧路へ――私はそういう風に食を需めて流れ歩いた。いつしか詩と私とは他人同志のようになっていた。たまたま以前私の書いた詩を読んだという人に逢って昔の話をされると、かつていっしょに放蕩をし・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・やがてまた吹き来し強き順風に乗じて船此地を発し、暮るる頃函館に着き、直ちに上陸してこの港のキトに宿りぬ。建築半ばなれども室広く器物清くして待遇あしからず、いと心地よし。 二十九日、市中を散歩するにわずか二年余見ざりしうちに、著しく家列び・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・冬になると、北海道の奥地にいる労働者は島流しにされた俊寛のように、せめて内地の陸の見えるところへまでゞも行きたいと、海のある小樽、函館へ出てくるのだ。もう一度チヤツプリンを引き合いに出すが、「黄金狂」で、チヤツプリンは片方の靴を燃やしてしま・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・六人ある姉妹の中で、私の子供らの母さんはその三番目にあたるが、まだそのほかにあの母さんの一番上の兄さんという人もあった。函館のお爺さんがこの七人の兄弟の実父にあたる。お爺さんは一代のうちに蔵をいくつも建てたような手堅い商人であったが、総領の・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・まもなく、函館から一通、お便りをいただいた。 太宰さん、御元気ですか。 私は元気です。 もっともっと、 頑張らなければなりません。 御身体、大切に、 御奮闘祈ります。 あとは、ブランク。 こうして書き写してい・・・ 太宰治 「散華」
・・・でも、その、色の黒い料理人というのは、たしかにうちにいましたね。函館の男だとかいって、ちょっとこう一曲ありそうな、……子供心にも覚えています。およしなさい、ばからしい。ご人格にかかわりますよ。 僕は平気です。過去の事なんか、どう・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・青森湾口に近づくともう前面に函館の灯が雲に映っているのが見られる。マストの上には銀河がぎらぎらと凄いように冴えて、立体的な光の帯が船をはすかいに流れている。しばらく船室に引込んでいて再び甲板へ出ると、意外にもひどい雨が右舷から面も向けられな・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・あの恐ろしい函館の大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大なものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫