・・・また実際白の容子は火のように燃えた眼の色と云い、刃物のようにむき出した牙の列と云い、今にも噛みつくかと思うくらい、恐ろしいけんまくを見せているのです。子供たちは四方へ逃げ散りました。中には余り狼狽したはずみに、路ばたの花壇へ飛びこんだのもあ・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・しまいには、畳の縁の交叉した角や、天井の四隅までが、丁度刃物を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。 修理は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・どこへゆくのでしょうか、ふと、この家の前を通りかかりましたが、乞食の子は、おみよが、いま人形にごちそうをこしらえてやろうとして、菊の花や、山茶花の花弁を、小さな刃物で、小さなまないたの上に載せて刻んでいるのを見て、思わず歩みを止めて、しばら・・・ 小川未明 「なくなった人形」
・・・ 鋭利な刃物が咄嗟に走ったらしかった。走らせたのは豹吉だ。 豹吉はあっけに取られている男の耳へ口を近づけると、「掏るなら、相手を見て仕事しろ」「豹吉だなア」 男はきっと睨みつけると、覚えていろと、雑踏の中へ姿を消した。・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・そして疲れはてては咽喉や胸腹に刃物を当てる発作的な恐怖に戦きながら、夜明けごろから気色の悪い次ぎの睡りに落ちこんだ。自然の草木ほどにも威勢よく延びて行くという子供らの生命力を目の当り見せられても、讃美の念は起らず、苦痛であった。六・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・彼はそのときの、薄い刃物で背を撫でられるような戦慄を空想した。そればかりではない。それがいかに彼らの醜い現実に対する反逆であるかを想像するのであった。「いったい俺は今夜あの男をどうするつもりだったんだろう」 生島は崖路の闇のなかに不・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・といって刃物を取出して取る訳にも行かない。小指でしっかり竿尻を掴んで、丁度それも布袋竹の節の処を握っているからなかなか取れません。仕方がないから渋川流という訳でもないが、わが拇指をかけて、ぎくりとやってしまった。指が離れる、途端に先主人は潮・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・彼女は家の方に居た時分、妙に家の人達から警戒されて、刃物という刃物は鋏から剃刀まで隠されたと気づいたことがよくある。年をとったおげんがつくづくこの世の冷たさを思い知ったのは、そういう時だった。その度に彼女は悲しさや腹立しさが胸一ぱいに込み上・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・尤も、親しげに言葉の取換される様子を見たというまでで、以前家に置いてあった書生が彼女の部屋へ出入したからと言って、咎めようも無かったが……疑えば疑えなくもないようなことは数々あった……彼は鋭い刃物の先で、妻の白い胸を切開いて見たいと思った程・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・気ちがいに刃物です。何をするかわかりません」 と言いました。「ちきしょう! 警察だ。もう承知できねえ」 ぼんやり外の暗闇を見ながら、ひとりごとのようにそう呟き、けれども、その男のひとの総身の力は既に抜けてしまっていました。「・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫