・・・それを自分の肚への言訳にして、お通夜も早々に切り上げた。夜更けの街を歩いて病院へ帰る途々、それでもさすがに泣きに泣けた。病室へはいるなり柳吉は怖い目で「どこイ行って来たんや」蝶子はたった一言、「死んだ」そして二人とも黙り込んで、しばらくは睨・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 実験を早く切り上げて午後行一は貸家を捜した。こんなことも、気質の明るい彼には心の鬱したこの頃でも割合平気なのであった。家を捜すのにほっとすると、実験装置の器具を注文に本郷へ出、大槻の下宿へ寄った。中学校も高等学校も大学も一緒だったが、・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・吉田は早くからそれに気がついていて、早くこの女もこの話を切り上げたらいいことにと思って道傍へ寄りかけたのであるが、女は自動車の警笛などは全然注意には入らぬらしく、かえって自分に注意の薄らいで来た吉田の顔色に躍起になりながらその話を続けるので・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・よし秋子も同じくよしあしの何はともあれおちかづきと気取って見せた盃が毒の器たんとはいけぬ俊雄なればよいお色やと言わるるを取附きの浮世噺初の座敷はお互いの寸尺知れねば要害厳しく、得て気の屈るものと俊雄は切り上げて帰りしがそれから後は武蔵野へ入・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・しかし、午後の三時頃になると、疲れても来るし、ひとが恋しくもなるし、遊びたくなって、頃合いのところで仕事を切り上げ、家へ帰る。帰る途中で、おでんやなどに引かかって、深夜の帰宅になる事もある。 仕事部屋。 しかし、その部屋は、女のひと・・・ 太宰治 「朝」
・・・しかし彼は適当な時にさっさと切り上げて床につく、そして仕事の事は全く忘れて安眠が出来ると彼自身人に話している。ただ一番最初の相対原理に取り付いた時だけはさすがにそうはゆかなかったらしい。幾日も喪心者のようになって彷徨したと云っている。一つは・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それでいいかげんに切り上げて池の中へ追い込んでやると、またいつもの藤棚の下へ帰って行って、そうしてきっと水を飲む。それが実にさもうまそうに、ひと口しゃくっては首をゆすり上げ、舌鼓を打って味わっているように見えるのである。そうして浅瀬のせせら・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ただ律儀な太陽は私にかまわずだんだんに低くたれ下がって行って景色の変化があまりに急激になって来るので、いいかげんに切り上げてしまわなければならなかった。軽く興奮してほてる顔をさらに強い西日が照りつけて、ちょうど酒にでも微酔したような心持ちで・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ いつであったか、その日の仕事を切り上げて、田中舘先生の門を出て帰っていく中村氏に偶然出逢った事がある。その時の氏の姿が今ありあり思い出される。洋服の上に汚れた白の上っぱりを着たままで、肩から絵具箱をかけ、片手にも画架か何かを持っていた・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・しかし私は途中でこのあてなしの逍遙を切り上げもう一ぺん元の所へ立ち帰り「前句」の場面に立ちもどってしかとこれを見直してみる。すると前には見えなかった別の扉のようなものがすうと開いて、それをはいって行くと前とはまたまるでちがった風物の花園が眼・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫